2023年9月2日(土)
霊的な権威に尊重を示す
Honour Spiritual Authority
「しかし主は、だれにも彼らをしいたげさせず、かえって、彼らのために王たちを責められた。「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」(編105:14-15)
民数記12章1節-16節には、アロンとミリアムと一緒に、モーセがめとっていたクシュ人の女のゆえに彼を非難したことが書かれています。彼らはモーセの権威を疑い、主は自分たちとも話されることができると主張しました。主はアロンとミリアムの言葉を聞き、モーセとともに彼らを会見の天幕の所に呼びました。
神は雲の柱の中に現れ、アロンとミリアムを叱責し、神のしもべであるモーセの独特な立場を確証してくださいました。神は、幻や夢を通して預言者たちに語られますが、モーセに対しては、面と向かって語られ、神の栄光を現されると仰せられ、神の選ばれた僕に対して反論を述べたアロンとミリアムを問いただされました。
今日あなたが気づいてもらいたいことは、アロンとミリアムの過ちの結果なのです。「….主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた」(民数記12:8-9)。主は怒り、何をされたのでしょうか?「立ち去られました!」神の臨在がそのように立ち去るときには、問題が生じます。
神の家で手に負えなくなり、反乱を起こし、不従順になり、権威を尊重しないと、神の臨在が彼らを立ち去ることを知らない人がたくさんいます。彼らは、神の臨在がいつ去るのかさえ知らないのです。
これはサムソンの物語も思い起こさせます。サムソンが神に背くまでは、主はいつも彼とともにおられました。敵が来たとき、サムソンは眠りからさめて考えていました。「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう。」と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった。」(士師記16:20 )。以前とは違って、神の霊はサンソンに臨まなくなり、敵に捕らえられて目を摘まれました。
常に主を敬い、主の御言葉と主の道に従うことは大切です。アロンとミリアムがしたように、決して霊的権威を逆らわないでください。神の働き人たちを批判したり、裁かないでください。聖書が言っていることを覚えておいてください。「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。」(ローマ14:4)ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、私を育て、訓練し、真理と義の道に導く私の指導者たちと、主が権威ある立場に置いてくださった方々に感謝します。私は、彼らが御霊によって与えてくださる導きと指示に喜んで従います。主の愛の性質とキリストの謙遜が、いつも私の内に、そして私を通して現れます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(へブル13:17)あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。
(ローマ13:1-3)人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
(使徒23:1-5)パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。 その時、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」 するとそばに立っている者たちが、「あなたは神の大祭司をののしるのか。」と言ったので、 パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない。』と書いてあります。」