賛美のいけにえ
Sacrifices Of Praise
「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(へブル13:15)
歴代誌下5章では、ソロモンの神殿を奉献した際の特別な瞬間が聖書に記されています。歌う者たちは、シンバルや弦楽器を鳴らしながら、主に感謝と賛美を捧げていました。聖書によると、すべての祭司が集まってきたと述べました。「また、歌うたいであるレビ人全員も、すなわち、アサフもヘマンもエドトンも彼らの子らも彼らの兄弟たちも、白亜麻布を身にまとい、シンバル、十弦の琴および立琴を手にして、祭壇の東側に立ち、百二十人の祭司たちも彼らとともにいて、ラッパを吹き鳴らしていた」(歴代下5:12)
彼らは皆、主の前で喜んでいました。13節によると、彼らは「…ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と主に向かって賛美した…」。 これが霊的ないけにえです!彼らは神が望まれることを正確に行ったのです。家畜を殺して捧げるいけにえも、栄光はもたらされませんでした。しかし、聖書は、彼らが霊的ないけにえを神に捧げたとき、「… その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた」と述べています。
歴代誌下20章には、ユダがどのように敵に囲まれていたかが書かれています。そこで、ヨシャパテはあることをしました。聖書にはこう書かれています。「…彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。『主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで』」(歴代誌下20:21)。戦いを導いたのは、歌う者たちでした。そして彼らの敵はどうなったのでしょうか?
聖書には「…死体が野にころがっている。のがれた者はひとりもない」(歴代誌下20:24)とあります。ハレルヤ! 困難や逆境に直面したとき、聖なる麗しく主を賛美してください。主の御名をほめたたえ、主の慈しみが永遠に続くことを宣言しましょう。そのような苦難の中で、主の真実さは代々続くと宣言してください。これは、キリストに代わる祭司としてのあなたの役目です。あなたは常に神に礼拝と賛美のいけにえを捧げるように呼ばれています。「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか」(ヘブル13:15)
告白
主よ、私は主を賛美します。主の偉大さ、主の慈しみは永遠に続きます。主は良き方であり、親切であり、公正であり、正しい方です。主はすべての人の上に高く、主のような方は誰もいません。すべての統治と力と栄光は、主のものです。主は最も偉大で、主の御名はすべての上にあり、主は天と地のすべてに君臨しています!ハレルヤ!
参照聖書
(使徒16:25-26)真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
(詩編47:1-9)すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。国々の民を私たちのもとに、国民を私たちの足もとに従わせる。主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを。[セラ]神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、上って行かれた。神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。われらの王にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。まことに神は全地の王。巧みな歌でほめ歌を歌え。神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。