2024年8月14日(水)
貧困は神の計画ではない
Poverty Isn’t God’s Design

「神よ。立ち上がり、あなたの言い分を立ててください。愚か者が一日中あなたをそしっていることを心に留めてください。あなたに敵対する者どもの声や、あなたに立ち向かう者どもの絶えずあげる叫びを、お忘れにならないでください。」(詩編74:21-22)

詩篇74篇には、預言者アサフの美しく感情的な祈りがあります。「どうか、契約に目を留めてください。地の暗い所には暴虐が横行していますから。しいたげられる者が卑しめられて帰ることがなく、悩む者、貧しい者が御名をほめたたえますように。」(詩篇74:20-21)

アサフの祈りは、虐げられた人々に対する共通の懸念を反映しています。虐げられた人々は、自分よりも力の強い者からの解放を神に願うしかありませんでした。そのため、虐げられた人々を恥から保護してほしいというアサブの懇願は、彼らが神の介入に依存していることを強調しています。

先日、私たちは山火事が家々を焼き尽くし、多くの家族を危険にさらした話を聞きました。犠牲者たちは、彼らを黙らせようとする強力な加害者たちに向き合っており、それは、私たちが祈るべき貧しい人たちや困窮した人たちの典型です。私たちの熱烈な祈りと行動によって、悪を退け、虐げられた人々に希望をもたらすことができるのです。経済的援助だけでは不十分であり、教育と訓練が不可欠です。

最も重要なことは、貧しい人々のために執り成し、神の恵みと憐れみを祈り求め、彼らの目を機会へと開き、貧困から立ち上がる力を与えることです。詩篇33篇5節には、「主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。」とあります。貧しさは神の計画ではないのです。

イエスは、ルカの福音書4章18-19節で言われました。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」福音が自由に宣べ伝えられるところごとに、人々は変えられ、貧しい人々は貧しくなくなるのです。ですから、福音をあらゆるところに伝えることに献身してください。これにより、ますます多くの人々の生活が変わります。アーメン。

祈り
私は、この世界に変化をもたらす者であり、困っている人々に希望と救いをもたらす神の愛と憐れみを伝える道具として力を与えられています。私は虐げられている人々が福音の光を受け、彼らの人生に対する神の御心の中を歩むとき、神聖の守り、備え、そして力を経験できるように、イエスの御名によって祈ります。アーメン

参照聖書
(イザヤ58:6-7)わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これを着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。

(2コリント8:9)あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

(3ヨハネ1:2)愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。