Choose To Be Humble
“同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。” Ⅰペテロ5:5
高慢(pride)は自身を騙すためそれを簡単に見抜くことが出来ないため、多くの人々が知らず知らずの間に高慢な行いをします。ただ神様のみことばだけが、高慢が実際に何であるのかをあなたに知らせて下さいます。例えば、聖書はイエス様の数人の弟子たちがイエス様の教えに怒って、それ以上従わなかったことを私たちに知らせています。この出来事は、イエス様がカペナウムにある会堂で教えられたときに起きました(ヨハネ6:59)。イエス様はそこにいた人々が聞くのが辛い何かを語られましたが、彼らはそれに反問しました。“…「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」”(ヨハネ6:60)と反問しました。彼らはイエス様の教えに向かって怒りました。彼らはイエス様よりもより知っていると考えたからです。彼らは高慢によっていい気になっていたのです。
しかしイエス様は彼らが離れていくことを止められませんでした。彼らが去っていくようにそのままにされました!そうして後、イエス様はまだ残っている弟子たちに向かって、あなたたちも去っていくのかと聞かれました。ペテロは彼らにかわって答えました。“「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」”(ヨハネ6:68-69)彼らだけが主イエス様から受けたものの価値を知っていたため、その場に留まっていたのです。彼らはイエス様がキリストであることを確信し、主が彼らに下さるメッセージを尊重しました。しかし他の人々はそうではありませんでした。彼らももしもイエス様がキリストであることを確信したのであれば、主が自分たちよりもよりご存知であるということを知ることができたでしょう。
高慢は、人々が他の人々に怒りながら離れていくことを作る原因です。あなたが気に障るようなことばを聞くとき、怒って離れてはいけません。ある人はこう言うでしょう。“あなたがどれほどたいした者で私にそのようなことばを言うのか?”謙遜な人は、このような言葉を聞いても気にしません。その人はすでに自分のために生きていないからです。
Ⅰペテロ5:6は言います。“ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。” したがって謙遜には益があります。いつも謙遜であることを選択しましょう。続けて謙遜である限り、神様はあなたが昇進し、勝利し、卓越することができるように恵みを続けて与えて下さることでしょう。
祈り
愛する父よ。聖霊の油注ぎによって私に来る全てのことばと指示に対して正しい態度を啓発することが出来るように助けて下さり感謝します。私が父のみことばに謙遜に反応する時、父のみことばは私の人生の名で結果を出し、目的を成します。主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン!
参考聖句:
マタイ18:4、マタイ23:12、ヤコブ4:10