2025年3月18日(火)
計り知れない神の愛
The Immensity Of His Love
「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:17-19)
使徒パウロは冒頭の聖句で、キリストの愛の深さを力強いイメージで表現しています。パウロは生物学と建築の両方の観点から語っています。パウロは植物のように根を張り、建物のように地に土台を置いている私たちは、聖徒たちとともに神の愛の奥深さ、計り知れなさを理解することができるようにと言っています。
「理解する」とは、ギリシャ語の「カタランバノ(katalambano)」から訳された言葉で、何かを完全に自分のものになるまでつかむ、捕らえる、握るという意味です。つまり、深く理解することで、その事柄が自分の事柄となり、そのメッセージが自分のメッセージとなるということです。これはどのようにして起こるのでしょうか?
まず、私たちが読んだ聖句で「人知」という言葉に使われているギリシア語の言語の意味を把握することが重要です。そうでなければ、私たちが知識を超える、あるいは乗り越える何かを知ることができるというのは、同語反復的、あるいは矛盾しているように見えるかもしれないからです。したがって、人知をはるかに越えたキリストの愛を「知る」という単語はギリシャ語の「ギノスコ(ginosko)」であり、「人知 」はギリシャ語の「グノシス(gnosis) 」に由来します。
「ギノスコ(ginosko)」とは、啓示による知識、あるいは授けられた知識のことです。この知識に関しては、あなたは自分がどのようにしてその知識を知ったのか説明することはできません。しかし、あなたは知っているのです。だから啓示の知識と呼ばれるのです。これは、イエスが「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)と言われた意味と一致するものです。
一方、「グノシス(gnosis)」とは、博学で得た知識、つまり情報に対する知的な努力で獲得することによって得られる知識です。したがって、聖書は私たちにキリストの愛を「ギノスコ(ginosko)」するように言っています。キリストの愛についての啓示的な知識、つまり理屈を超えた知識を持ちなさい、と教えているのです。キリストの愛の広大さは、知的な習得や単なる推論では解明できるものではありません。
このことは、ヨハネ15章13節を理解することで助けとなります。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」キリストが私たちのためにしてくださったこと、私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったことは、論理や人間の推論に勝るものです。聖書はローマ5章8節でこう言っています。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」 このことを考えてみましょう!御霊がパウロを通して、教会がキリストの愛の広さに対する完全な理解と、啓示に至るように祈っているのも不思議ではありません。キリストの愛は限界を超えた、人間の理解の領域を超えた愛なのです。神に栄光をささげます!
祈り
愛する父よ、私は主の愛に根ざし、土台を据え、その愛に満ち溢れ、私の人生にその愛の力を発揮します。主の愛が私の内に豊かに宿り、私は傷つき、死にゆく世界にこの愛を伝えるチャンネルです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1 ヨハネ 4:9-10)神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
(ピリピ1:9)私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
(ローマ8:38-39)私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。