In Remission We Have Justification

「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」 (使徒13:38-39)

昨日の学び(28日)を通して、キリストにあって私たちにあるものが、罪の赦しではなく、罪の取り除くであることを学びました。一部の聖書翻訳者は、「赦し(forgive)」という言葉をいつ使うのか、「赦免(remit)」という言葉をいつ使うべきかを確定していませんでした。翻訳によって、ギリシャ語の「アペシス(aphesis)」という単語を「罪の赦し」としたり、「罪の取り除く」としたりしていました。例えば、英語のキング・ジェームズ・バージョンでは、今日の本文に出てくる「アペシス」を罪の「取り除く(remission)」の代わりに罪の「赦し(forgiveness)」と翻訳しました。 

罪を取り除くのは罪を完全に削除するということです。七十人訳聖書では、レビ記25:10で使わされた言葉が、「赦し」に似ている「自由(liberty)」を意味する「解放(release)」という言葉です。レビ記25:10の前半には、こう言っています。「あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放(liberty)を宣言する。」 ここで「解放(liberty)」という言葉は、罪の取り除くことを意味する、ギリシャ語の「アペシス」です。私たちは人間が罪とその影響と結果から完全に抜け出したことを指す、罪の取り外したことを宣告しなければなりません!

旧約聖書でヨベルの年にすべての債務が取り消されたのと同じように、新約での罪の赦しも債務(罪)があったことがなく、発生したことがないかのように抹消され、一掃されることです。罪の赦しには、あなたが犯罪者で、赦免であった記録が残っていますが、罪の取り除くでは、違法という記録自体がなくなります。

罪の除去により、違法そのものがあなたから分離し、切り離され、存在しなくなったので、あなたは義とされたのです。そうです。罪が取り除かれることで、あなたは義と認められたのです! 使徒13:39は、モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、イエス・キリストによって、解放されると言っています。

義とされるということは、あなたの罪が取り外されて存在していないので、あなたが無罪判決を受け、「無罪」と宣告されたことを意味します。どうやってこれが可能でしょうか? それは、神の義のためです。「それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」(ローマ3:26)

祈り
御父よ、全世界の罪のために、完全な罪の代価を払うようにイエスを遣わし、私の罪を取り除き、私たちを父と実際に一つにしてくださり、ありがとうございます!新しく生まれた私は、罪とサタンを支配する統治権があります。今日、世界中の罪人たちが福音を聞いて、キリストの死によって彼らのためにすでに達成されてある「罪の除去」を受け入れて、義のために生きるように、心を開くことを願っています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(2コリント5:19-21) すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

(ローマ3:23-26) すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。26 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。