2024年10月17日(木)
苦しみはキリスト共に終わった
The Sufferings Ended With Christ
「この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。」(1ペテロ1:10-11)
御霊の霊感を受けた昔の預言者たちは、キリストの苦しみとそれに続く栄光について証しました。キリストはすでに苦しみを受けられたので、私たちは今、主の栄光の日々に生きているということです。あなたは苦しむ必要はないし、苦しみが人生の一部であるべきだと考える必要もないのです。苦しみはイエスとともに終わりました。イエスは、あなたが超越的な人生を手に入れるために苦しまれたのです。
2コリント5章21節は言います。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」また、2コリント8章9節では、「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」とあります。クリスチャンは、もはやわずらいや病気、欠乏や敗北に苦しむ必要はないのです。並外れた人生を楽しみ、神に定められたとおりの者となるために、キリストがすでに支払ってくださった対価以外に他の代価を、あなたが「支払う」必要はないのです。
神はあなたを愛しておられ、光の中にある聖徒の相続財産にあずかる資格を与えてくださいました。神の栄光のために最善を尽くす人生は、キリストにあるあなたの受け継ぐ分なのです。神はあなたを苦しむために造られたのではないのです。イエスが十字架にかかられたとき、イエスは「完了した」(ヨハネ19:30)と言われました。イエスは全人類の苦しみの終わりを告げ知らせたのです。今日、イエスを信じ、イエスの身代わりの犠牲を受け入れる者は誰でも、自動的に栄光の人生に導かれるのです。ペテロが御霊によって、2ペテロ1章3節で「私たちは彼の栄光と徳へと召された」と言ったのも不思議ではありません。ハレルヤ!
イエスの犠牲は十分でした。イエスは地上に来られ、生き、死なれました。イエスは葬られ、よみがえられ、昇天されました。今、主は支配と力、大いなる栄光の座に着き、私たちも主とともに座っているのです。主が私たちに望んでおられるのは、主の苦しみからもたらされた栄光を享受することなのです。主がすでに成し遂げてくださったこと以上に、あなたがすべきことは何もないのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、キリストにあって私を栄光の人生へと導いてくださったことを感謝します。私は今、キリストの受難によってもたらされた栄光の中に生きていることを知って喜んでいます。私は健康、繁栄、勝利のうちに歩み、主の力、愛、恵みの満たしを現します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ローマ8:30)神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
(2ペテロ1:3-4)というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。