2022年6月10日(金)
肉は十字架につけられました
The Flesh Has Been Crucified

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)

肉とは、基本的にあなたの感覚や貪欲、そして欲望のことです。そして、聖書は「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」(ガラテヤ5:24)と教えています。この節には、「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけようとしている、または十字架につけようと祈ったりしている 」とは書かれていないことに注意してください。肉を十字架につけるために、主に叫び求める者たちは間違った祈りをしており、無駄にもがいているのです。

奮闘しないでください。 あなたが今、奮闘しているなら、すぐに止めてこう言ってください。「今日から、イエス・キリストは私の心、私の貪欲、私の欲望を支配する主です。私は肉とその情欲、欲求、欲望に打ち勝ちました。私はキリストの心を持っています。」あなたの考えをキリストの御言葉で満たしてください。それがあなたにとって必要なことです。

神の御言葉があなたの心を支配するならば、あなたは統治者になるのです。イエスが主であることは、あなたのすべての争いの終わりです。イエスがあなたの体の主であると、あなたは、パウロがローマ12章1節で説明したように、あなたの体を主に聖なるいけにえとしてささげるのです。あなたの体は主の体であるからです。

第一コリント6章15節には「あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません」とあります。あなたは神の本部であることを大胆に確信してください。あなたが住んでいる体は神の所有物であり、あなたはその中で借主であり管理人としてその中で住んでいます。あなたは神のために体を管理しているのです。

ローマ8章12-14節には「ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」とあります。あなたは御霊のうちに生きています。ですから、あなたが御霊のうちを歩めば、肉の欲を満たすことはないのです。

祈り
愛する父よ、私の体と私のすべての部分は、主に喜ばれる聖なる生けるいけにえであり、それは主への私の仕えであり、私がささげる霊的な礼拝なのです。私は肉とともにその情欲と欲望を十字架につけました。私の心は主の御言葉にゆだねられ、私の心は御言葉に従っています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ガラテヤ5:16) 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

(ローマ8:1-5)こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。