2025年8月9日(土)
聖霊への冒涜
Blasphemy Against The Holy Spirit
「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコ3:28-29)
ある人は、「神は愛であり、私たちのすべての罪を赦してくださるのに、なぜ『聖霊に対して罪を犯す者は決して赦されない』と言っているのでしょうか?」と問います。
まず、主イエスがこの警告をユダヤ人に向けて発した点を理解してください。ユダヤ人は契約と律法を与えられた人々でした。神の御霊は彼らに啓示され、彼らは旧約聖書全体を通して神の働きを目撃していました。彼らは聖霊の創造における役割、創世記で御霊が水の上を動かれたこと、天を飾られたことを知っていました。
しかし、この知識にもかかわらず、彼らはイエスが聖霊の力によって奇跡を行われたのを見ても、イエスをベエルゼブルの力によって働いていると非難しました。そのため、主は彼らに、聖霊に対する冒涜は赦されないことを警告されたのです。聖霊は、人を救いに導き、世界に対して罪について、義について、裁きについて責められ、神の民をすべての真理に教え導いてくださる方であるからです。
聖霊なしでは、誰も神に近づくことも、神を信じることもできません。したがって、聖霊を冒涜する者は、まさに神のことにおいて導き、その導く方を拒絶しているのです。
聖霊を冒涜するには、神の言葉と霊の事柄に関する深い知識が必要です。聖霊が誰であるかを知っている者だけが、聖霊に対して罪を犯すことができます。そのため、真のキリスト教徒が聖霊に対して罪を犯すことは稀(まれ)です。それは、恵みの御霊を意図的に軽蔑することだからです。
ヘブル10章28から29節でさらに説明しています。「だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。」 この箇所は、真理の完全な知識を持っていても、真理の聖霊を軽蔑し、そしることを選んでいる人について語っているのです。
祈り
愛する父よ、私を罪に気づかせ、教え、すべての真理へと導いてくださる尊い聖霊に感謝します。私は、私の人生と世界中で行われる聖霊の働きを認め、尊び、その導きと祝福に完全に従います。私は知恵と理解をもって歩み、主の御言葉の知る知識において絶えず深めていきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ヘブル6:4-6) 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
(マタイ12:31-32) だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
(ヨハネ16:8-11) その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。