2022年8月13日(土)
聖書は時代に遅れたものではない
The Bible Isn’t Old-fashioned
「小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。」(第一ヨハネ2:18)
聖書は今日、さまざまな面から多くの攻撃にさらされています。私たちは、これらの攻撃が、すでに世にある反キリストの霊によって生じていることを知っています。「… それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです」(第一ヨハネ4:3)
反キリストの霊は、さまざまな個人や組織を動かして、聖書を信頼できないもの、頼りにならないものとして考えさせようとします。この霊が、聖書への信仰をくじくような本を出版したり、映画を宣伝したりする原動力になっているのです。
第二ヨハネ1章7節は述べています。「人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。」このような人々の中には、驚くことに、クリスチャンだと名乗る者もいます。しかし、ヨブ記の中で、天使を指す神の子たちがある日、神の前に来て立ったとき、サタンもその中に入ってきたことを思い出してください(ヨブ記1:6)。それは今日でも起こっているのです。
神の子らが教会や交わりの場で主の前に集まるとき、神のものでない者が加わっているのを見るでしょう。これらの人々は、神の御言葉を攻撃するために、他の人々が聖書への信仰を失うように、サタンに用いられることを自らドアを開けるのです。しかし、神の民が祈り、真理を宣べ伝えるとき、彼らの努力は失敗に終わります。
聖書は昔のことだから捨て去るべきだという人に注意を払わないでください。聖書は、歴史上のどの時代にもあったように、今日もなお重要なのです。聖書は神の真理の文書であり、信頼でき、頼りになるものです。聖書へのあなたの信仰を揺るぎないものとしましょう。
祈り
愛する父よ、主の御言葉の力、時代から時代への一貫性、確実性、信頼性、そして私の人生がどんな状況でも勝利に導いてくれるその能力に感謝します。私は主の御言葉を実践する者です! 私が御言葉を見るとき、私が目にする現実の栄光の中で、いわゆる栄光、成功、卓越のビジョンや絵のように私は変わっていくのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(第二テモテ3:16-17)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
(ヤコブ1:22-25)また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。
(へブル4:12)神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。