2024年8月17日(土)
聖書に矛盾はない
No Contradictions In The Bible

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。…」(2テモテ3:16-17)

聖書は、霊感を受けた神の言葉を記した信頼できる資料であり、私たちが生きるための指針と方向性を示してくれるものです。しかし、聖書の詳細の一部が合わないと主張して、聖書の信頼を失墜させようとする人々もいます。

一例として、イエスの復活について考えてみましょう。聖書には、イエスは三日三晩墓の中にいた後、日曜日の朝に復活したと書かれています。そこで彼らは、「どうやって金曜から日曜の朝まで3日3晩になることができたのでしょうか。辻褄(つじつま)」が合わない」と言うのです。

聖書は、イエスが金曜日に死んだとは書いていません。一部の宗教家たちは、イエスが安息日の前日に死んだと聖書に書いており、また土曜日が安息日であることを知っていたので、そうだと思い込んでいたのです。しかし、彼らが知らなかったのは、聖書が言及している安息日は毎週の安息日ではなく、過越の安息日だったということです。

この過越祭の安息日は、ユダヤ歴の毎年ニサン月(1月に相当)の14日に行われる特別な行事でした。したがって、この日は特定の曜日に固定されていたわけではないのです。多くの国でクリスマスは12月25日ですが、毎年12月25日が月曜日になるわけではないのと同じです。

その年のニサン14日は木曜日でした。つまり、イエスは過越の安息日の前日、水曜日に十字架につけられたのです。マタイ、マルコ、ルカの福音書は、この日が過越の安息日であったことには触れていませんが、ヨハネははっきりとこう述べています。「…ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。」(ヨハネ19:31NLT)

これは、聖なる金曜日を祝うことを批判することが目的ではありません。むしろ、イエスが「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12:40)と言われたのが正確であったことを示すためです。

主は、水曜日に十字架につけられ、日曜日の夜明け前によみがえられました。これもまた、聖書が信頼できることを示しています。聖書は単なる宗教書ではなく、神の証なのです。聖書は信頼できるものです。

祈り
愛する父よ、主の御言葉は信頼に足る真実なものです。御言葉は私の足の灯、私の道の光です。私は聖書の正確さと信頼性に堅く根ざして力づけられます。聖書の御言葉は、私のあらゆる人生の分野において有益です。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(詩編33:4)まことに、主のことばは正しく、そのわざはことごとく真実である。

(詩編119:160)みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。

(ローマ3:3-4)では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか。絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。それは、「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」と書いてあるとおりです。

(ヘブル4:12)神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。