Get Rid Of Sin

“もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。”(詩編66章18節)

 祈りの中で神に勝つというのは極めて神聖なことで、とてもあなたに重要なことです。しかし、何しろあなたが祈りで神に勝ち、そして神から何かの結果を得ようとするのであれば、あなた自身のためにでも、他の人のためにでも、またはどのような状況にでも、お祈りを始める前に、まずしないとならない事があります。それは、もしあなたがその時まで正しく生きていなかったなら、あなたの罪を悔い改めることです。

 人が犯す罪には色々な種類があります。例えば、それは誇りや傲慢であるかも知れません。それらの罪を悔い改めなければ神に勝つことはできません。他の罪にも同様です。その罪があなたの心の中にある限り、あなたは祈りによって神に勝つことは出来ません。これはダビデが言ったのと同じです。「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。(詩編66:18)」

 イザヤは言いました。「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。(イザヤ59:1−2)」キリスト教とは、義の中を歩くことです。あなたは、罪を犯しながら神との交わりはできません。神は正しく、公義であり聖なる方です。

 「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。(Iヨハネ2:1)」あなたは罪を犯してはならないが、もし罪を犯したなら、早く悔い改めて赦しを受けた後、正しく歩みましょう。ヨハネの手紙第一1章9節には言われます。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」神の御言葉は、不正からあなたを清めてくださる洗浄剤です。あなた自身を御言葉に明け渡しましょう。神の御言葉は、あなたをいつも正しい道へ導く正しい光です。

祈り
愛する御父よ、父の愛を感謝します。御父は義の中で、父と共に歩むように私の心を清めてくださいました。私の人生は父の栄光のためにあり、私は義の実を結び、父に相応しく行い、全てのことにおいて父を喜ばせます。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考 聖書
コロサイ3:5-6 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。このようなことのために、神の怒りが下るのです。 

箴言12:28 正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。 

Ⅰヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。