Be Prompt To Give

“ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。”(Ⅱコリント9:7)

神様が、あなたが大切にしている何かを種として主に捧げよと言われるとき、いつでも捧げることができるように準備しましょう。ある人々は愚かにもそれらを掴んでいようとしたり、捧げるべきかどうか悩みます。しかし考えてみてください。誰が神様よりも多く捧げることが出来るでしょうか。神様があなたに与えよと言われる理由はただ、そのようにすることによってあなたが自らを主の中で繁栄の次の水準へと引き上げようとされているのです。

あなたがいつも捧げることに素早くすべきまた別の理由は、神様にささげる財政的な種は、時に悪に対抗してあなたのいのちを守るからです。箴言13:8は言います。”富はその人のいのちの身代金(ransom)である。…” あなたは、サタンがすでに敗北した敵であるが、いつも神様の人たちに罠をしかけるために歩き回る謀反人であるという事実を悟る必要があります。したがってサタンにあなたの人生についての足場を与えはいけません。特別な種を献金として捧げることは、サタンを静める確実な方法であり、あなたの人生の中にサタンが置いておいた全ての障害物を取り除くことなのです。

特別な種の献金をささげて後、末期の病が癒された多くの人々の証があります。その献金は、彼らのいのちに対する身代金となったのです!神様があなたに与えるようにと要求されることについて頑なに掴んでいてはいけません。与える者についての約束の御言葉があります。ルカの福音書6:38を見ましょう。”与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」”

捧げることをためらうならば、あなたはあなたのために供給される神様の能力を制限することになります。あなたの考えで神様を制限してはいけません。与える者になると、あなたのものを失うことになるという考えをやめましょう。誰も信仰のために愚かな者になることはありません。それがあなたの時間であれ、お金であれ、才能、技術であれ、あなたが主に捧げるものは何であろうと多すぎることはありません。美しいことに、あなたが信仰の中で何でも主に捧げるならば、主は百倍以上にしてあなたに返してくださるのです。

祈り
愛する主よ。私の人生の中であなたの供給と恵みに感謝を捧げます。私はためらうことなくいつも喜びで捧げます。なぜならば私が持っている全てのものはあなたから来たものであることを知っているからです。あなたは私の根源であり、私の卓越さ、繁栄であられます。あなたの恵みが増え、祝福となる私の力も増えることに感謝を捧げます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

参考聖句
Ⅱコリント9:8、詩篇20:1-3、詩篇50:14-15