2025年2月20日(木)
私達は霊から神と関わる
We Relate To God From Our Spirits
「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」(ガラテヤ3:28)
礼拝においてどのように神とつながるかについて、一部の人々が抱いている誤解があります。男性は力に関する賛美の歌に集中する傾向があり、女性はより情熱的であるため、主に向かって愛の賛美を歌うことを好むと思い込んでいるのです。しかし、そのような考え方は肉的であり、より深い霊的真理を見逃しています。神との関係について言えば、私たちは肉体的な性別に基づいてではなく、私たちの霊から神と関わるのです。
パウロは、「私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、…」(ローマ1:9)と言って、このことを明らかにしています。私たちは神に似せて造られた霊的存在であり、神に仕えるとき、私たちは霊から仕えるのです。キリストにおいて、私たちのアイデンティティは性別を超越しています。私たちの真のアイデンティティは霊の中にあり、その領域には区別はありません。それゆえ、礼拝において神とつながるとは、あなたの霊が交わりにおいて神の御霊にむけて手を伸ばすことなのです。主イエスは言われました。「 しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:23-24)。
外見上の性別は地上の肉体の一部ですが、私たちは新しく造られた者であり、男女の区別のない霊魂から生き、神に仕えているのです。 ガラテヤ3章26節から28節にこう言っています。「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」また、聖書には「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(1コリント15:52)とあります。復活のとき、私たちは変えられ、もはや性別のような物理的な区別に縛られることはなくなるのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、キリストにあって私が何者であるかを啓示してくださったことを感謝します。私の霊において、私はあなたに似せて造られた新しい被造物であることを知っています。私は、私の礼拝が肉体を超越したものであることを知り、心を尽くして、情熱、力と愛をもって、主に仕えます。私を主と切り離せない一体にしてくださりありがとうございます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
ヨハネ4:23-24 、ローマ1:9、ガラテヤ3:26-28