We Worship The Risen Christ

“あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。”(出エジプト 20:4)

聖書は私達に燃える蛇がイスラエルの民の宿営に侵入した時、その過程でどれほど多くの人々が死に、ケガをしたのかを話します(民数記21:7-9)。神の人であるモーセが神に憐れみを求めるや、主は彼に青銅の蛇を作って旗ざおの上につけるよう指示されました。もし噛まれた者が青銅の蛇を見上げたならば、その人は癒されたはずでしょう。

長い間、いくつかの人々は、特に本文箇所にある主の指示の故に、聖書個所を理解するのに困難がありました。しかし、次に続く箇所は、彫刻された形に拝みするという指示ではなかったことを説明してくれます。“あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、”(出エジプト20:4-5) 神は決してイスラエルの民に、青銅の蛇を拝むように要求されたのではありませんでした。神は単に彼らにそれを仰ぎ見なさいと言われただけなのです。神はアブラハムに星を見上げなさいと言われた時と似たような指示を下されたのです。神はアブラハムに星を拝みなさいと言われませんでした。青銅の蛇は象徴的なものでした。それは十字架に釘打たれた罪を典型的に示したものでした。“モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」”(ヨハネ3:14-15)

新約で私達は刻まれた形を見上げずに、キリストを見上げます。“イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。”(へブル12:2) 今日、イエスはもうこれ以上十字架におられずに復活され、天に昇られました。復活されたキリストが、私達が拝む唯一のお方です。イエスだけが一人で栄光を受けられ、唯一な統治者であり、王の王であり、私達の礼拝を受けるべき万軍の主であられます。

祈り
愛する父よ、キリスト・イエスの中で完全になされた救いの御業に感謝します。イエス様だけがこの地の望みであり天の喜び、私の最も深く愛する対象であり私の魂の救い主です。イエス様に永遠に私の賛美と礼拝を捧げます。アーメン。

参考聖句
Ⅰテモテ6:13-16、黙示録5:13