2024年9月19日(木)
私達の言葉は違う
Our Language Is Different

「『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」(2コリント4:13)

1コリント3章1節から3節で、使徒パウロがコリントのクリスチャンを肉的であると言ったのは、そのほとんどが彼らの言葉遣いのせいでした。彼らは神の子ではなく、ただの人のように話し、その結果、彼らの召命より低いレベルの生活を送っていたのです。神の子として、あなたの言葉は福音の信条を反映し、私たちの天の王国の教義や文化と一致していなければなりません。

肉的な、あるいは通常の男性や女性は、自分の感覚に従って話します。彼らは恐れと不信仰を語るのです。しかし、私たちの言葉は違うものです。私たちは信仰を語り、私たちは信じるからこそ語るのです。私たちは何を信じるのでしょうか?私たちは御言葉を信じ、御言葉を語ります。神に栄光をささげます!神の御言葉は真理であり、真理は実在です。したがって、あなたはどんな状況に関しても、御言葉を語るたびに、その状況についての実在を語っているのです。

例えば、頭痛や関節、あるいは体のどこかに痛むと感じたなら、「頭痛がある。私は関節炎がある」とは言わないでください。代わりに、それを叱責し、こう言いなさい。「私には神の命が宿っている。だから、私は永遠に健康で強い。私の体は聖霊の神殿なので、病気は一切私の体で繁栄することはできない。」

そう言うとき、あなたは真理を語っているのです。あなたはキリストにあるものについて告白しているのです。病気、わずらい、弱さ、貧しさ、欠点、そして死は、神があなたに与えたものではありません。だから絶対にそんなことを言わないでください。1コリント2:12-13はこう言っています。「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。」

私たちが聖霊を受けたのは、神が私たちに自由に与えてくださったものを知り、理解するのを助けてくださるためです。これらのものをあなたは語るべきなのです。では、神はあなたに何を与えてくださったのでしょうか? 神は永遠の命を与えられました。(1ヨハネ5:11-12)あなたに神の知恵、義、聖さ、罪の赦しを与えたのです。(1コリント1:30)神はあなたに命と敬虔に関する必要なすべてのものを与えてくださったのです。(2ペテロ1:3)

あなたは上記で述べたことと、もっと多くのことを言わなければなりません。あなたがキリストにあって誰であり、何を持って、何ができるかを、たびたび大胆に告白してください。信仰と力の言葉を語ってください。ハレルヤ!

告白
聖霊は、私の舌を王国の言葉を話すように訓練してくださいます。私は、信仰、権威、力のある言葉だけを話します。私は、キリストの福音にある信条と、私たちの天の王国の教えと文化に一致する言葉だけをします。アーメン。

参照聖書
(1コリント3:1-3)さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

(ローマ8:6)肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

(1コリント2:12-13)ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。