We Have Authority
「あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」(ルカ22:53)
今、世界の多くの地域では、政治的権力の乱用が行われています。いくつかの州では、信仰のためにキリスト教を敵視するような法律や政策、行動が行われています。イエスが十字架にかけられる前に逮捕された時の話を読んだことがあれば、この種の不正は新しいものではないことがわかるでしょう。イエスは、高い地位にある人たちの間で権力が乱用されるのを経験されました。
ヨハネ18章には、ユダが大祭司やパリサイ人から送られたローマ兵と役人たちを引き連れて、どのようにイエスを捕らえたかを記されています。イエスは、ご自分の身に起ころうとしているすべてのことを知っておられたので、彼らのところに出て行って、「誰を探すのか 」と言われました。彼らは 「ナザレ人イエスを」と答えました。そしてイエスは「それはわたしだ」と言われました。
イエスは語られ、ご自分を名乗られた途端、兵士や聖殿の役人たちは神の力によってあとずさりし、そして地に倒れました。ルカ22:52-53は次のように伝えています。「そして押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たちに言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのですか。あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。』」
「今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」という言葉に注目してください。イエスは暗闇の力が働いていること、そして、イエスを逮捕しに来た男たちは、彼ら自身ではなく、サタンに動かされていることを理解していました。イエスは、数時間のうちに6回の裁判を受けましたが、どれもイエスを有罪にすることはできませんでした。
大祭司は怒りのあまり、イエスに対して何かを不利なことをしなければなりませんでした。そしてイエスに言いました。「…神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです」(マタイ26:65)。その数時間後、イエスは十字架に架けられました。神に感謝します!イエスはご自分の自由意志で、ご自分を捧げられました。イエスは何かできることがあったにもかかわらず、ご自分の命を捨てられたのです。「わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ…だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります…」(ヨハネ10:17-18)
今日の迅速な裁判、理不尽な法律、嘘、統制されていない操作などは、新しいものではありません。それゆえ、私たちはひざまずいて霊に燃えて祈り、私たちの町が福音の光に支配され、義の力に影響されていることを宣言しなければなりません。私たちには権威があり、イエスはすべての人々の主です。主と主の教会のために、あらゆる所で立ち上がってください!
告白
私は、反キリスト教的で、福音の宣教に反する命令や法律に脅かされません。私は世界中の神の民と福音の宣教を挫折させようとするサタンの邪悪な行為、策略、政策、計略が無効になるように、心を奮い立たせて祈ります。イエス・キリストの御名で告白します。アーメン。
参照聖書
(2テサロニケ 3:1-2) 終わりに、兄弟たちよ。私たちのために祈ってください。主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まり、またあがめられますように。2 また、私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。
(箴言 16:12(AMPC) 悪を行なうことは王たちの忌みきらうこと。王座は義によって堅く立つからだ。