私たちは戦っています
We’re In A Warfare

「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。」 (第二コリント10:3 NIV)

私たちはこの世に生きていながら、霊的な戦いをしています。エペソ6章12-13節で、使徒パウロはこの戦いの霊的な部分について語っています。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです…」。

争いが常に起こっていることに気づいてください。また「邪悪な日」についても述べており、戦争とその戦いとの違いを理解するのに役立ちます。戦争とは、敵対状態を宣言することです。第一コリント14章8節(AMPC)では「また、ラッパがもし、はっきりしない(区別のつかない)音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう」とあります。

戦闘とは、戦争の実際の戦いのことで、実際の戦いが始まると、それが戦争の「戦闘」となります。戦争の別の表現は、何かを争っているとき、もっと情熱的になることで、必ずしも武器を持つ必要はありません。ここで重要なことは、私たちには立ち向かう敵、つまりサタンがいるということです。

ある時、人々は混乱して「私はこのことを克服したと思っていました」と言いますが、真実を言うと、あなたは戦争中であるということです。悪魔はただ眠っているわけではありません。イエスへの誘惑を考えてみましょう。聖書には「誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた」(ルカ4:13)と書かれています。

悪魔はしばらくの間イエスから離れたのです(NIV)。サタンは、その場では自分が敗北したことを知っていたので、次のチャンスがある時まで主から離れていたのです。第一ベテロ5章8-9節では、「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って…」と語られています。

福音と神の子どもたちに立ち向かうために全力を尽くす敵があっても構いません。その敵は私たちの足元にいるのです。エペソ6章10-11節には、「…主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」とあります。

あなたは、主権者、権力者、この世の暗の支配者たち、そして天にある悪の霊に対する統治権と権威を持っています。あなたは霊的な武具を使って(エペソ6章14-18節を読んでください)、彼らを追い払い、彼らの策略と計りを挫折させ、彼らの悪事をあらゆる阻止してください。ハレルヤ!

告白
祝福の父なる神よ、私にキリストの中で、サタンとその仲間たちを退ける権威が与えられていることを感謝します。私は、神の完全な武具を身に着け、強められています。私は主にあって強く、主の力で邪悪な日に勝利することができます。主の愛と優しさに永遠に感謝します。アーメン。

参照聖書
(第二コリント10:3-5) 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、

(第一ペテロ5:8-9)身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。