We’re The Expression Of The Word

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22)

キリスト教において、私たちは御言葉に従うように招かれたのではなく、御言葉を実行するように招かれました。私たちは御言葉を行う者であり、実行する者です。私たちは御言葉で生きています。これの実際的な意味は、私たちが御言葉の表現であるということです。ここで、御言葉を声にすることがとても重要です。行動する前に言葉が先に与えます。 あなたが言うことを、あなたがするでしょう。あなたの「言ったこと」が、今まではそうでなかったならば、これからは言うとおりになるでしょう。 あなたの口はあなたの人格(personality)の現れです。

「言葉」とは、人間の霊が、人格的として最もよく表現していることです。 御言葉の知識を受け取ったとき、あなたがすべきことは、それを受け取って話すことです。あなたはすでに肉を着た言葉です。 ですから、あなたは言葉に記されているとおり、あなたが誰であり、何を持っているのかを単に表現しているだけです。

というわけで、あなたは御言葉に満ちて、御言葉に浸されるべきです。 あなたの考え、話すすべてが、御言葉なのです。なぜなら、あなたは実際に御言葉の子孫であるためです。 イエスは肉になった神の言葉です。 あなたも肉を着た神の言葉であります。聖書に、「…あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、…」(2コリント3:2-3)とあります。キリストの手紙は、つまり、キリストの言葉であり、神の言葉で、それがあなたのアイデンティティです。これは、新しい創造物に対する啓示です!

ですから、例えば、「何も思い煩わないで」(ピリピ4:6)と言われたとき、神は、あなたに心配しないように努めなさいと、言っているのではありません。つまり、それはあなたが「従う」という戒めではありません。むしろ、神は心配しないのがまさにあなたの性格と人格の反映であり、それに応じて生きるように言われるのです。 あなたは何も心配しない者です。それがあなたの人格です。それはあなたが従うために努めるのではなく、あなたの現実の生き方です。

これがまことのキリスト教です。それがあなたにある御言葉が外に表出されることです。あなたの話しは御言葉であり、あなたが行なうことも御言葉なのです。あなたの人生は、御言葉が現れることです。

告白
私は見えないキリストのアイコンであり、キリストの栄光の輝きと、キリストの人格の明確な現れです!神の御言葉を熟考し、その栄光を見るとき、私は主と同じ姿へと変えられ、栄光から栄光へ到達します。今イエスがそうであるように、私もこの世で、永遠に勝利し、優秀で、栄光に満ちています!神に栄光がありますように!

参照聖書
コロサイ3:16  キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

ヤコブ1:22-25  また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。

2コリント3:18  私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。