私たちは信じて語ります
We Believe And Speak

「『私は信じた。それゆえに語った。』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」(第二コリント4:13)

多くの人は、今日の御言葉を私たちが信じるために話すかのように読んでいますが、しかしそうではありません。御言葉の告白は、私たちが言っていることを必ず信じようとしているのではありません。聖書には「『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです」とあります。これがつまり信仰の霊の原則です。信仰は内側から外側に働きかけるものであり、その逆からではありません。

私たちは、信じているから話すのです。実際、今日の御言葉には「『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです」と書かれています。つまり、私たちは信仰に基づいて話すのです。私が話すときは、私の信仰が話しているのです。

マタイ9章にある、イエスが癒された二人の盲人の話が思い出されます。彼らは、「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください 」と叫びました。そして、イエスは彼らに「私にそれができると信じるか」と尋ねられました。彼らは「はい、先生!」と言いました。そして、イエスは彼らの目に触れられ、「…あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」と言われました。そして、聖書には「彼らの目は開かれた….」(マタイ9:30)と記されています。なぜでしょうか?それは、彼らが信仰を持ち、それを声に出したからです。

信仰はおもに言葉を通して表現されますが、聖書は私たちが皆、信仰を持っていることを教えています。もし私たちに信仰がなければ、それは問題です。しかし、私たちにはすでに信仰があります。パウロがローマ12章3節で述べているように、主は私たちに信仰を与えてくださいました。「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて…」それは、あなたがイエス・キリストを信じたときの信仰であり、その信仰が語るのです。

あなたの信仰の宣言によって、世界を管理し、統治し、そして状況を支配しましょう。どんな問題にも泣かないでください。何かに不満を持ってはいけません。信仰の言葉を語りましょう。あなたは仕事やビジネスで困難を経験しているかもしれませんが、語って、変化をもたらしましょう。イエスは、「あなたは自分が言ったことを持つ」と言われました。あなたの祝福はあなたの口の中にあります。勝利だけをいつも宣言することで、それがあなたの勝利の経験となります。

告白
私の信仰は、世界とそのシステムに打ち勝つ勝利そのものです。神の御言葉は私の命であり、そこにある栄光と祝福は、私の人生に明らかにされます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(マルコ11:23)まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

(マタイ12:37)あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです

(ローマ10:6-8)しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。