12月27日(火)
私たちは主の道を知っている
We Know His Ways

「イエスは答えて言われた。『あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。』」(マタイ13:11)

神を知らない人は「神の道は私たちの道ではなく、神の思いは私たちの思いではない」と言います。しかし、新しく生まれた私たちにとって、神の道は私たちの道なのです。私たちは神から生まれ、神の形に造られたのです。つまり、私たちは神に似ており、神のように機能するという意味です。さらに、私たちは神と同じ命と性質を持っています。

第一コリント2章16節に「…私たちには、キリストの心があるのです」とあります。イエスは私たちに主の考えを与えられたので、私たちは主のように考えることができます。エペソ5章1節には、神にならう者となりなさいと書かれています。ハレルヤ!今日の御言葉の中で、主の述べた言葉を思い出してください。御国の奥義を知ることは、私たちの相続分であると言われました。

聖書の中で、主の性質がはっきりと示されています。あなたは、主が誰であるか、イエス・キリストによって神を表現することができ、神に何を求めるべきかを知ることができます。あなたは神の応答も予測することができます。神は書かれた御言葉と聖霊を通して、ご自身と御心を私たちに明らかにされました。聖書には、モーセに神ご自身の道を示されたとあります。

神が一度「私の道はあなたがたの道ではない」(イザヤ55:8-9)と言われたことがあります。これは、当時のイスラエルが神の道から遠ざかっていたので、神が彼らに言われた言葉です。それを一部の人々は文脈をよく理解せずに引用したのです。神の願いは、私たちの道が神の道と一致することです。神は、私たちが神の道を歩むよう呼びかけ、招いておられるのです。

もし神がご自身の道を示されなかったら、どうして私たちは神と歩調を合わせて歩むことができるでしょうか。ですから、神の道は神秘の中に隠されたものではなく、その道は御言葉の中に明らかにされているのです。あなたが神をあなたの父としているのなら、神はもう神秘的な存在ではありません。この世の人々や神を知らない人々にとっては、神は神秘的な存在です。しかし、私たちは家族であり、神の子どもです。私たちは神の御国に住んでおり、神の道を知っています。神をほめたたえます!

祈り
私が御言葉を学ぶとき、父の御心、考え、計画、目的が私に明らかにされます。私は御心を深くはっきりと知っており、人生において何一つ迷うことはありません。主の光が私の心にあり、真理が解き明かされます。勝利と終わることがない賛美の人生のために、啓示が私に与えられます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(第一コリント2:11-16)いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。13 この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。15 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。

(マルコ4:11)そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。