The Blotting Out Of Our Transgressions
「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ1:7)
「赦し(Forgiveness)」という単語が使われる多くの所で、実際には「取り除く(Remission)」と訳されるべきです。取り除くとは自由、釈放、分離を意味します。それは、罪が存在していなかったかのように、釈放することを意味します。すなわち、あなたの過ちは決して起こらなかったかのように、過ちから完全に分離され、あなたの履歴から切り離されたと扱われることです。これを想像できますか?
誰か、「どうやってそんなことができるでしょうか?」と疑問に思うかもしれません。しかし、それが今日の御言葉が触れた内容です。神は、神自身の恵みの豊かさに従ってそれをなさいました。つまり、イエス・キリストの血によって、人がいかなる罪も犯していないかのように、その罪から人を完全に引き離すことができる力が、神にあるという言葉です! それは赦しではありません。赦しは赦免を意味します。赦しを受ける場合、あなたはたとえ犯罪者であったという記録が残っていても、刑から釈放されます。
幼いクリスチャンとして成長中に、私達はかなり正確ではない事を習いました。そのような教えの一つは、罪人が生まれ変わるとき、その罪は取り除きを受ける一方で、クリスチャンは赦しを受けるということでした。つまり、あなたが新しく生まれたとき、あなたの罪は取り除かれましたが、しかしその後、何か過ちを犯すならば、あなたは赦しを受けるということです。
しかし考えてみてください。もし罪人の罪が取り除かれて、その罪が完全に消され、決して覚えることのないものなら、クリスチャンにおける、自分の罪に対する記録を残す必要があるという理由は何なのでしょうか?クリスチャンは、罪人が得たものよりも欠けるものを受けてはいけません。私たちがキリストの中で受けたものは、罪の取り除きです。
それでは、あなたが何か悪いことを犯したとき、何が起こるのでしょうか?あなたは自動的にイエスの血によってきよめられます。「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(1ヨハネ1:7)ハレルヤ!
祈り
祝福なる御父よ、父の慈しみに感謝します。父は子どもたちのために罪を取り除かれました。ですから、世界中のクリスチャンが、父の恵みと義のうちに歩み、この知識を得て、敵の訴えに縛られないように、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ローマ4:6-8) ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。8 主が罪を認めない人は幸いである。」
(ヘブル8:10-12) それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。12 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」
(ヘブル10:16-18) 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」18 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。