Our Exceptionalism
“しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが述べ伝えるためなのです。”(ペテロの手紙第一2章9節)
ある人達は自分が特別で重要な人であることを認めません。彼らは一般なものを好きです。彼らはこう話もします。「まるで私たちが特別な者の様に行動しないでください。」甚だしく、彼らはあなたと同じ教会の中にいるキリスト者達であるにも関わらず、こんなに尋ねることもできます。「何故、私たちが特別かのように振る舞うのですか。」彼らは、私たちの独特さ(uniqueness)に対して話したり説明したりするのを嫌います。
これについて考えてください。創世記12章1節で、聖書は言われます。「その後、主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。』」家族と親戚もいる一人の男性がいました。しかし、神は誰にも言わなかったことをただ彼一人だけに言われました。たとい神が誰かに指示されたとしても、誰が神の言葉を信じようとしますか?
当時の人々は、はっきり彼を頭がおかしくなったと思い、このように質問をしたかもしれません。「彼は、どのように、神が彼に目的地も分からないまま 父の地を離れて、旅を始めなさいという命令をしたと主張することができるのか?」しかし、歴史は、私たちにアブラムが正しかったことを証明しています。神に栄光をかえします!これは、私たちにアブラハムの卓越さを教えているのです。私たちもここに含まれます。なぜなら、私たちはアブラハムの子孫であるからです。それでは私たちの卓越さ(Exceptionalism)とは何でしょうか。
これは、あなたにはどの点でも、他の人と異なる独特さがあるという理論、もしくは思想です。それは国や社会、組織的な運動、団体、家族、甚だしくは一人の個人もそれに含まれることができます。そしてここには、あなたが優越であるという思想が内包されています。それはあなたが他の人達より、大切で優れた信仰と考えを持ったという意味です。したがって、これはあなたがリーダーとしての責任を果たすようにあなたを励まされます。
したがって、キリスト者として私たちは、自身が特別であることを知っています。私たちは一番素晴らしく、卓越な相続財産を持っています。このような考えが私たちによって、他の人々を私たちと同じ栄えある受け継ぐものにあずかる者となることができ、彼らが私たちの偉大な霊的な御国の市民になれるように、魂を救う働きに熱望を出すようにします。私たちは異なります。ですから、異なって考えて異なって生きて行きましょう。
祈り
私の考え方は、私が誰であるかに沿って考え、語り、行動するように調節されています。私はアブラハムの子孫で、主の栄光と栄誉のため区別された者です。私の命の中で主の臨在と栄光あるため、私は特別で異なっていることを自覚しています。ですから、私はいつも元気よく、私の人生を支配して勝利します。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。
参考 聖書
ガラテヤ人への手紙 3章7節
ヤコブの手紙 2章23節
ペテロの手紙 第一 2章9節