His Glorious Presence In Us

「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

ある時、モーセは、主なる神にお願いをしました。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」(出エジプト33:15)。 今日、多くの人は、この御言葉ゆえに、このように祈っています。「主よ、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私も動きません。」 旧約聖書と新約聖書の置かれている背景の違いを理解する必要があります。当時(旧約時代)、イエスはまだ来られていませんでした。したがって、旧約の信徒は、今の私たちが享受する特権を楽しめることができませんでした。 その特権は、私たちの「中に」おられる方の栄えある臨在なのです。

イエスが来られたとき、ユダヤ人たちは、「インマヌエル」が明らかにしたものを享受しました。「インマヌエル」は「主が共におられる(Emmanuel)」という意味です。イエスが、ガラリヤやナザレ、カペナウムの通りを歩いていた当時に帰ってみると、それがその人たちに何と祝福だったことでしょう!全能で、全宇宙の統治者である神が、彼らとともにおられたのです!何と素晴らしい日々だったことでしょう!

しかし、今日は、私たちに明らかになった啓示は、「インマヌエル(Emmanuel)」を超えたのです。神は、もはや私たちと共におられたり、私たちの間におられたりするのではありません。神は、聖霊を通して、私たちの内に住んでくださるのです。聖書は、「この奥義は、時代や世代を超えて隠されてきましたが、今は、神の聖徒たちに明らかにされました。」と示します(コロサイ1:26)。 「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:27)

あなたの内におられるキリストは、「インマヌエル(Emmanuel)」以上にすばらしい方です! イエスは、来られ、死なれ、葬られ、よみがえられ、天に昇られました。今は、イエスは、天の御座に座っておられますが、聖霊を通して、私たちの心に住んでおられるのです。従って、私たちは、一日24時間ずっと、神性の臨在につながっていることができるのです。

マタイ28:20で、イエスは言われました。「…見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 キリストが今あなたの中に住んでおられています。 キリストはあなたの全ての繊維組織と体のすべての骨の中に住んでおられます。聖霊について、ヨハネ14:17で、イエスは、「…その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」と言われました。かつては、聖霊は、イエスが人々とともにて、道を歩み、偉大で力ある奇跡を行われるとき、彼ら(ユダヤ人)と一緒におられました。 しかし、今その方は、あなたの内におられるのです。したがって、あなたは、神の臨在の栄光を楽しみ、神の愛の中でくつろぎ、神の知恵と恵みを受け取り、イエスがあなたのために働かれた永遠の勝利を現すことができるのです。

祈り
愛する天の父よ、私の中におられて、私を人間以上の存在にしてくださる、御父の輝かしい神聖な臨在に感謝します。私は聖霊と一つにされているので、人間の領域のすべての限界を超えて生きます。私は今日、いつも御父の愛と豊かな恵みと憐みと慈しみを享受したことに感謝いたします。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

ローマ8:11  もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

2コリント6:16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。