1月12日(木)
私たちに対する主の愛
His Love Towards Us
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5:17)
多くの人が考えとは異なり、新しく生まれ変わるにはそれほど多くの時間が必要ではありません。必要なのは、キリストの中に入ることです。ローマ10章9節には「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」と書かれています。それが、罪人がすべきことの全部なのです。
罪人がキリストの中に入ってくると、突然、古いものが過ぎ去ります。聖書は、その人が古いものを変えようと努力する必要があるとは言っていません。神は、罪人が御前に来る前に、彼らの古いものを変えるまで待っておられません。もし罪人が自ら変えることができるなら、イエスを必要としないでしょう。
ローマ5章10節には「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです」と書かれています。なんと恵み深い方なのでしょう! 私たちはまだ敵であった時に、神を知りもしなかったのに、神と和解させられたのです。エペソ2章4-5節にはこう書かれています。「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし(あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。)」
神は、私たちが罪の中に死んでいたときでさえ、私たちを愛してくださいました。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)。ローマ4章4-5節は、このことがどのように起こったかを示しています。「働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです」。
私たちの神は、不敬虔な者を義とされます。第二コリント5章19節は述べています。「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」これが福音です。福音は、キリスト・イエスと全人類への主の偉大な愛について述べているのです! 福音は、イエス・キリストが主であることを告白することによって、この真理を受け入れた人の人生において、イエスが値なしに与えられた永遠の命と義に関するものなのです。
祈り
天の父なる神よ、私は世界中の救われていない人々のために祈ります。今日、彼らに福音が届き、彼らに影響を与えるためのルートが開かれていることを宣言します。福音宣教のあらゆる抵抗が打ち破られ、彼らの救いのために真理を理解し、主の御言葉を受け入れることができますように、主イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(第二コリント5:19-20)すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
(コロサイ1:21)あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。