2025年1月2日(木)
福音宣教の全体像
The Full Picture Of The Gospel Mandate

「…そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕」(マルコ16:19-20)

共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)を学ぶと、福音を宣べ伝えることに関する主の指示について、さまざまな視点があることがわかることでしょう。しかし、一つのテーマが際立っています。 福音はすべての男性、女性、少年、少女に宣べ伝えられるべきものであり、それはすべての国民のためのものであるということです。

マルコは、冒頭の聖句にあるように、私たちの使命について明確な形を示しています。弟子たちは自分の役割を果たし、主は彼らが宣べ伝えた御言葉をしるしで確証することによって、主の役割を果たされました。私たちは御言葉を宣べ伝え、それに続くしるしによってそれを確証するのは主の責任なのです。

ルカの福音書24章46節から47節では、主の指示のもう一つの重要な側面を見ることができます。イエスの宣教にまつわる出来事を深く理解していたルカは、私たちが宣べ伝えるべき福音の内容について、悔い改めと罪の赦しという重要な点を付け加えています。「こう言われた。「次のように買いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」

マタイはイエスが命じられたことをすべて教えることを強調し(マタイ28:19-20)、マルコは、主がしるしによって確証される福音を宣べ伝えることに重点を置き(マルコ16:19-20)、ルカは私たちにその全体像を示しました。主のメッセージは、ただ教えたり説教したりすることではなく、すべての国の人々に悔い改めと罪の赦しを宣言することでした。

初期の弟子たちは当初、メッセージをユダヤ人社会の中にとどめていました。彼らは、福音は諸国民の間に散らばるユダヤ人のためだけのものだと考えていたのかもしれないし、主の命令の世界的な範囲を誤解していたのかもしれません。しかし、福音は常にすべての国民、すべての被造物のためのものでした。(マルコ16:15)この啓示は、使徒の働き15章に記録されているような議論を通して明らかになり、彼らは最終的に主の宣教の全範囲を受け入れたのです。

今日、私たちは同じ使命を担い、イエスが命じられたことをすべて教え、すべての被造物とすべての国民に福音を宣べ伝え、主の御名によって悔い改めと罪の赦しを宣言しているのです。そして、主は私たちとともに働き続け、主の御言葉を次のようなしるしで確証しておられるのです。神を褒めたたえます!

祈り
愛する父よ、神の子どもである私たちが今日、皆進み出て御言葉を宣べ伝えるとき、しるしと祝福と奇跡をもって御言葉を確証してくださることを感謝します。御霊の力によって主の言葉が彼らに与えられるとき、多くの人々が救いを受け、回心します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(使徒1:8)しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

(マタイ28:18-20)イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

(使徒15:7-9)激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。

(マルコ16:19-20)主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕