Unalloyed Commitment To The Gospel

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私の命は少しも惜しいとは思いません。」(使徒の働き20章24節)

パウロは、エルサレムへ行って働きをしようと計画を立てました。しかし彼をエルサレムに行かせないようとする人々がいました。彼らは、パウロに直面するたくさんの困難を心に思い浮かばせながら、彼がエルサレムに行くと殺されるのではないかと、恐れていたからです。彼らはパウロのために、当時のエルサレムではパウロを憎んで死んでいなくなるのを願っている者がどれほど多いなのかを思い起こさせました。パウロの霊に満たされた反応を、今日の御言葉でもう一度見てみましょう。何と素晴らしい心構えでしょう!

今日の御言葉から、パウロの福音に対する私心ない献身を見ることができます。パウロの献身は、とても情熱的であり、どんな脅しもパウロを妨げることはできませんでした。 コリント人への手紙第一15章31節で、「…私にとって、毎日が死ぬ連続です。」と言った事は不思議ではありません。彼は自分自身に既に死刑宣告を下ろしたのです。彼が念頭に置くのは、自身の安全でなく、自分に預けられた福音を伝えるという任務にあったのです。その後パウロは、コリント人への手紙第二12章10節で、もう一つの深みのある言葉を残しました。「私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています…」

福音へのあなたの献身は、逆境や試み、試練、迫害によって、縮小されてしまうものですか? あなたは、あなたの命よりもイエスをもっと愛すると断言できますか? イエス・キリストを信じるために、命まで喜んで捧げることができますか? ヨハネの黙示録2章10節で、こう言います。「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなた方をためすために、あなたがのうちのある人達を牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」 下線部が、「わたしはあなたを死から救い出そう」と言っていない事に気付いてください。そうです!むしろ、「死に至るまで忠実でありなさい。」と言っているのです。

これが、主が私たちに願われる心構えなのです。主は、私たちが福音にはっきりした態度を取れず、恐れたり、躊躇することを望まれません。ローマ人への手紙8章35-37節は語ります、「私たちを、キリストの愛から引き離すのは誰ですか。艱難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたの為に、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊と見なされた。』しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべての事の中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」  したがって、パウロのように、福音への献身が純粋で、自己中心ではないようにしましょう。

祈り
御父よ、私の内から福音に対する奮い立たせて、情熱を呼び覚まし、揺るぎない献身をさせてくださり感謝いたします。私は福音をもってまだ届いていないところに寄り添っていくことに、これまで以上に固く決心します! 父なる主の知恵を宣べ伝えて、御父の義と福音の祝福をもって、多くの人々に影響を及ぶように、聖霊の導きで感謝します。イエスの御名で祈ります。アーメン。

参考聖書
コリント人への手紙第一 9章16節  というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。

テモテへの手紙第一 1:11−12節  祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。