2025年3月4日(火)
福音の満ちあふれる祝福
The Fullness Of The Blessing Of The Gospel

「あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。」(ローマ15:29)

上記の聖句で使徒パウロが述べたことは、実に深いものです。彼は確信を持ってこう語ったのです。「わたしがあなたがたのもとに来るとき、キリストの福音の祝福をいっぱいに受けて来ると確信している。」 この発言は、地上にいながらイエス・キリストの福音の満ち満ちた祝福の中を歩む可能性を明らかにしているものです。 

パウロは、そうなるように祈ると言ったのではなく、自分が歩む現実として確信を持って宣言したのです。福音の満ち満ちた祝福の中を歩むとはどういうことでしょうか?それは、キリストの祝福、力、神性を示しながら、キリストの相続財産の完全な現れの中に生きることを意味します。これは、やがて私たちのために用意された経験ではなく、この地上で、この時代に経験することなのです。

パウロの確信は、キリストにある私たちの人生について彼の理解から生まれたものです。パウロの手紙は、この実在に対する証なのです。たとえば、パウロは「私は、私を強くするキリストによって何でもできます。」(ピリピ4:18)と言いました。これは、キリストの祝福の充満の中で歩んでいる人の言葉です。この満ち足りた状態は理論的なものではなく、実際的なものであり、達成可能なものなのです。

しかし、多くの人は恐れに屈したり、間違った道を歩んだりして、それを逃しているのです。パウロは、キリストにあって自分のアイデンティティを理解していました。彼は宣言しています。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)。なんという意識の持ち方でしょうか!

この理解によって、パウロは大胆に、止められず、揺るぎのない者になったのです。彼は義のうちに歩み、聖霊との一体感を保ち続けました。彼は挫折や敗北から解放された人生を送り、「わたしたちのうちにおられるキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)と言ったのです。これこそ、キリストの福音の祝福に満ちた勝利と支配と栄光の人生なのです。 ですから今日、神の栄光、力、義を示しながら、神の相続財産を意識して生きてください。強く、勇気を持ち、勝利し、聖霊と完全に一体となって歩んでください。ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、キリストの福音の満ちあふれる祝福を受けて歩むようにと私を召してくださったことを感謝します。私は、私の人生のあらゆる領域において、主の栄光、力、義を示しながら、私の神聖な相続権を意識して生きています。私は大胆で、恐れを知らず、勝利し、聖霊と完全に一体となって歩んでいきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(コロサイ1:26-27)これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

(ローマ 15:29)あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

(2 コリント9:8)神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。