2025年8月4日(月)
福音の最高の知らせ
The Greatest News Of The Gospel
「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりを通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(1コリント15:21-22)
イエスが十字架で死なれた時、世界中の人々がイエスと共にその十字架に架けられていたことをご存知ですか?イエスは世界の救い主であったため、すべての人々がイエスと共に十字架に釘付けられたのです。イエスはすべての罪人、現在生きている人や過去に生きていた人すべての身代わりの立場になられたのです。
ローマ5章12節には、「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、—それというのも全人類が罪を犯したからです。」とあります。アダムは最初の人であり、彼の不従順によって罪が世界に入り込みました。その結果、神からの分離である霊的な死がすべての人間に及んだのです。アダムから罪は人類に広がり、この世界に生まれたすべての人類に影響を及ぼしました。
しかし、イエスは私たちのために十字架につけられました。イエスの十字架の死は、すべての人がイエスと共に十字架につけられたことを意味します。イエスが私たちの代わりになられたからです。そのため、私たちはすべての人に、彼らの罪はイエス・キリストにおいて既に贖われたことを伝えなければなりません。その代価はイエスの死によって支払われたのです。しかし、罪の代価は、人類が罪の罰から救われたことだけであり、罪の生活から救われたわけではありません。
キリストの死はあなたに対する罪の訴えをすべて解決しました。それは非常に重要ですが、キリストの死があなたを神と和解させたわけではありません。福音の最高の知らせは、イエスが死んだことだけではありません。もちろん、イエスの死は根本的でしたが、最も栄光に満ちた部分は、イエスの復活です!復活がなければ、永遠の命も、義もなかったでしょう。
真の救いのメッセージは、イエスの復活に基づいています。イエスの復活がキリスト教の起源です。私たちの命の源も復活から始まりました。「したがって、私たちは彼と共に死に埋もれ、バプテスマによって死に埋もれたのです。それは、父の栄光によって死からよみがえられたキリストのように、私たちも新しい命を歩むためです」(ローマ6:4)。キリスト教はイエスの復活のお祝いであり、それはキリスト・イエスにおける勝利、義、信仰、希望、愛の命のお祝いなのです。神に栄光をささげます!
祈り
愛する父よ、イエス・キリストの栄光ある福音と、その復活の力に感謝します。イエスの死によって、私に対する罪の責めは解決され、イエスの復活によって、私は永遠の命を得ました。私はこの神聖な命の現実を歩み、罪とその支配から解放されています。私はキリストの勝利を私の内で祝い、今日、義と力、そして支配の内で生きています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ローマ4:23-25) しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
(2 コリント5:19-21) すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
(ローマ 6:3-4) それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。