11月11日(金)
福音に全く奪われる
Sold-out To The Gospel

「兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。」(第二ペテロ2:4)

主イエスが「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)と言われたのは、すべてのクリスチャンに与えられた使命でした。あなたの世界とその向こうに福音を伝えよということです。そして、それは単に公園を散歩するように簡単ではないことも教えてくださいました。

第一コリント16章9節で、パウロは働きのための広い門が開かれましたが、反対者も大勢いると言いました。第二テモテ3章12節では「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」と述べています。しかし、これらのことは、パウロの熱意を弱めたり、福音を伝える情熱を妨げたりすることはありませんでした。

それはあなたも同じはずです。福音を伝えることは、どんなことがあろうとも、私たちがやらなければならない任務なのです。ですから、パウロは使徒20章24節でこう言いました。「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

これがパウロの決意でした。この発言は、迫害を恐れてエルサレムに宣教に行くことを止めようとする人々に対する彼の返答でした。その前の22-23節で彼はこう言っています。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです」しかし、彼は妨げられませんでした。

使徒21章10―11節に、アガボと言う預言者が、パウロがエルサレムで投獄され、異邦人に引き渡されることを預言しています。そのため、他の弟子たちは涙を流しながら、パウロにエルサレムに行かないように説得しました。しかし、ここでパウロの感動的な応答がありました。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」

あなたは、イエス・キリストの福音を広めるために、どれだけ力を注いでいますか。これはゲームではありません! 福音は、強いて言うなら、私たちの命をかけることも含めて、すべてを捧げるに値し、要求されるのです。キリストはそのすべてを受けるのに値します。ですから、他の人もあなたと同じくらい福音に対する緊急性、情熱、確信を持つように動機づけましょう。

告白
私は熱意をもって魂を勝ち取る者です。主と福音宣教に対する私の情熱は他の誰にも負けません。私は福音を貫き、教え、他の人にも福音に対する情熱、緊迫性、そして確信を持つように、動機づけています。アーメン。

参照聖書
(第一コリント9:16-17)というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。

(使徒20:22-27)いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。