The Divine Essence

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」(第一テモテ6:12)

聖書には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)と述べられています。イエスは人に永遠の命を与え、神との交わりをもたらすために来られました。イエスはその目的を果たされましたか?答えは、断固としてそうです!

聖書には、「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。」(第一ヨハネ5:11NIV)とあります。神は私たちに永遠の命を与えようとしているのではありません。主はすでに与えてくださったのです!次の節では、「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(第一ヨハネ5:12)と述べられています。主は、神のいのちと性質、すなわち神の神聖な本質について言及しています。

その命は朽ちることのないもので、失敗にも死にも左右されません。これこそが、キリストにある命なのです。エペソ人2:1には、「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であったが、生かされ」とあります。あなたはもう罪の中に死んでいません。なぜでしょう?あなたは今、永遠の命を持っているからです!

悲しいことに、自分が永遠の命を持っていることを知っているクリスチャンは多くありません。そこでヨハネは、「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」(第一ヨハネ5:13)と言っています。ヨハネがこのように書いたのは、人々が神のいのちを持っていないかのように生きていたからです。

パウロが、テモテに宛てて「…永遠のいのちを獲得してください….」と言った理由がよくわかるでしょう。「獲得する(lay hold on)」のギリシャ語は、「エピランバノマイ(epilambanomai)」で、「離さずに何かをつかんでいる」という意味です。あなたは、この言葉を永遠の命と連結させなければなりません。あなたに永遠の命があることを単なる机上の知識にしないでください。永遠の命をつかみ取ってください。永遠の命があなたのために働かせるようにしてください。

時々、次のように宣言してください。「イエスの御名によって、私は永遠の命を持っているので、私はこの世の要素の上に生き、支配しています。神が祝福されますように!」もし健康に問題があるなら、泣かないでください。むしろ、宣言し続けてください!「私は、キリスト・イエスにあって完全な者です。私の中に神のいのちがあるので、どんな病も煩いも痛みも私の体にとどまることはできません!私は永遠の命を手にしています!」あなたの体は、あなたの中の神聖な命に影響され、すぐにその宣言通りになるでしょう。

告白
私はキリスト・イエスにあって完全です。永遠の命を手にしているので、私の体に病や痛みなど、どんな病気も拒みます。私はキリストを通して、この世のすべての要素を支配しています。ハレルヤ!

参照聖書
(エペソ 2:1-6) あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― 6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

(ヨハネ 3:16) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。