He Doesn’t Lay Blames
あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。 (コロサイ 1:21-22)
私たち天の父の真の本性とご性質を知ることがどれほどの祝福でしょうか!ヤコブ書1:5は言います。天の父は“・・・とがめることのない…”お方です。これは神様があなたを叱ったり非難されないという意味です。神様はどのような理由でもあなたを非難されません。人々はあなたを見て叱責したりしかりつけることもありますが、神様はそうされません。神様はあなたの罪の責めをあなたに負わせないのはもちろんであり(Ⅱコリント5:19)、あなたの過ちを探しもしません。上の本文箇所をもう一度読んでみてください。“今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。”この箇所は私たちに非常に慰めを与えます。これはあなたが神様の御前で傷がなく、非難を受けないという意味です。あなたはすでに義とされました。ハレルヤ!
使徒パウロがローマ書8:33-34で、詩のように表現したことは当然です。“神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、・・・”その後に彼は8:38-39でこう宣言します。“私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。”
キリスト・イエスはあなたのためにすでに死なれました。イエス様はあなたの場所で罪の定めを受けられました。第一ペテロ3:18は言います。“キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。”あなたのために死なれた方は普通の人ではありません。したがって、これ以上誰もあなたを罪に定めることはできません。あなたがイエス・キリストの中にいて、聖霊(霊)に従って行うことにより、もうあなたには決して罪の定めはありません。(ローマ8:1)
キリストはあなたの義であられます。(Ⅰコリント1:30) 誰かがあなたを訴えようとしても関係ありません。あなたの内に主の義があることにより、神様のお目にあるあなたには、何の傷もありません。あなたは“ですが私は誤りをしますよ”と言うかも知れません。あなたは失敗をしますが、イエス様があなたのすべての失敗に対する責任を背負ってくださいました。イエス様によって、神様があなたを誤ったと非難されない理由なのです。ハレルヤ!
祈り
私が主イエス・キリストと一つになるために呼んでくださった神様をあがめます。私は何の罪責感や罪の定めや非難もなく大胆に恵みの御座に進みます。このような驚くべき特権をくださった父に感謝します。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
へブル 4:14-16
ローマ 8:1
1年聖書通読
使徒 24:1-27
詩篇 1-6篇
2年聖書通読
ガラテヤ 4:21-31
イザヤ 36章