Do It His Way!
“モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。…しかし、【主】はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」”(民数記20章11−12節)
神の方法とおりにする事はいつも益となります。今日の聖書箇所は、イスラエルの民が荒野で水を欲しがったときのモーセの行動について述べています。彼らはモーセに叫びました。モーセがそれに対して主に申し上げた時、主はモーセに言われました。「杖をとれ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば…(民数記20:8)」
モーセに指示されたことは、岩を打つのでなく、岩に命じ民に水を与える事でした。面白いことに、以前の彼らの旅で、喉が渇き神に水を与えるよう叫んだとき、神はモーセにこう言われました。「…あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、その通りにした。(出エジプト17:6)」しかし神は、今度はこう言われました。「岩に命じる」これは前回とは異なる指示でした。
残念なことに、モーセは神の明確な指示に従って岩に命ずる代わりに、自分の仕方でその岩を打ちました。何故なら、人々が彼を怒らせたからです。神はモーセにもっと次元の高い方法、さらに良い方法があることを教えようとしたのです。モーセは、彼の杖で奇跡を行なってきました。モーセは、彼の杖で何でも出来ていましたが、神はそれを変化させたいと願われました。神はモーセに、こう言われようとしました。「あなたは、本当は杖なんて必要ない。あなたは御言葉だけで支配することができる。ただ岩に命じなさい。すると、それは水を与えてくれる。」しかしモーセは、神のように考えるのには、怒りすぎていたのです。
怒りや否定的な感情どもに支配されるのを拒みましょう。強い自意識で、この世の法則で生きる人々は、ひたすら自分たちの方式でどうするべきかだけを考えます。彼らは、とても肉的であり、神の御言葉から遠く離れています。彼らに聞こえるのはみな肉の声です。しかしながら、肉の思いは死なのです。(ローマ8:6)その様になってはいけません。いつも御言葉によって行ないましょう。御霊を従いましょう。
たとえ神の指示が、「楽に(convenient)」は感じられなくても、神の御心に従ってください。神と共にいるなら、あなたは人生で失敗の道から救われます。あなたが見るのに便利な方向で行なわないでください。主の願われることを行いましょう。そうすればあなたの人生は平和と栄光に満ち溢れます。
祈り
主よ、私は主の御心とおりに行なうことが喜びです。私を義と共に歩かせて、主の中にある私の運命を成就させる、主の御言葉が私の心にあります。私の望みは主の御言葉によって暮らしながら、全てにおいて主に喜ばせることなのです。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。
参考 聖書
箴言16:25 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
ルカの福音書22:41−42 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ローマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。