2025年1月17日(金)
神の隠された知恵
God’s Hidden Wisdom
「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」(1コリント2:7-8)
イエス・キリストの犠牲は実に深い謎でした。サタンは被造物であり、全知ではないから、キリストの贖いの御業の完全な意味を知ることはできなかったのです。聖書は、この真理を1コリント2章7節から8節で明らかにしています。「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」
ここで、「この世の支配者たち」は、キリストの犠牲の究極的な目的を知らなかったのです。もし彼らがこの神秘の深さと力を理解していたなら、イエスを十字架につけることはなかったことでしょう。ヨハネの福音書12章31節で、イエスはサタンを「この世の支配する者」と呼んでいます、これは上記の節で闇の勢力に対する描写と一致しています。
神の計画に対するサタンとその支配者たちの無知は、神の隠された知恵の証であるのです。彼らは、イエスの十字架の死刑が人類の救いにつながることを知らなかったのです。1コリント2章9節から11節はさらに詳しく述べています。「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いった、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」
私たちが神の知恵と奥義を知り、理解できることを神に感謝します。聖書によれば、キリストは私たちにとって、神の知恵となり(1コリント1:30)、私たちはキリストの心を持っているのです。(2コリント2:16)
祈り
愛する父よ、主の永遠のご計画の中に隠された知恵が聖霊を通して私たちに啓示されたことを感謝します。サタンが私の思いを支配する力を持たず、私のために準備してくださった計画に近づくことができないことを感謝します。イエス・キリストにおいて私に与えてくださった勝利を感謝します。私は主に守られているという、この知識の確信のうちに歩んでいきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1コリント2:9-11)まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
(1コリント1:30)しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
(1コリント2:12-16)ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。