2024年3月17日(日)
神の聖別された幕屋
His Sanctified Tabernacle

「あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」(ヨハネ14:7)

主イエスは栄光うちに天に召される直前、弟子たちに聖霊の人格について広く語られました。主イエスは弟子たちのうちに聖霊がおられると言われました。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられる(ようになる)からです。」(ヨハネ14:16-17)

使徒の働き1章8節には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。…」(使徒の働き1:8)とあります。ペンテコステの日、聖霊は彼らの内に住むために臨まれたのです。旧約聖書で、ソロモンは神に神殿を建て、神殿を奉献するとき、神の臨在が神殿の上に臨まれました。(第二歴代誌5:13-14)

しかし、神はそれで満足されませんでした。使徒の働き7章48節には、「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。…」とあります。あなたが新しく生まれたとき、神はあなたをご自身のものとされたのです。あなたは神の子孫となり、神の生きた神殿となったのです。その瞬間からあなたは神によって聖別され、神と一体となったのです。

今日、あなたは神の神聖の幕屋なのです。神はあなたの器、あなたの体を聖別し、主の住まいとされたのです。あなたは神の住まいであり、文字通り、神はあなたの中に住んでおられるのです。神はあなたの内に住んでおられるので、あなたを通して語り、あなたの内を歩まれます。(2コリント6:16)神はあなたの内に、あなたを通してご自身を現されるのです。

イエスが地上を歩かれたとき、「…わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。」(ヨハネ14:10)と言われました。これは聖霊のことです。同じ聖霊が今日もあなたの内に宿っておられるのです。イエスのうちに働かれたのと同じように、聖霊の力があなたのうちに働いているのです。

これこそキリスト教の本質であり、イエスがもたらし、可能にしてくださったことなのです。つまり、あなたが神の聖別された生きた幕屋となることです。考えてみてください。栄光の大いなる神は、今日、聖霊を通してあなたの内に生きておられるのです!なんという祝福でしょうか!常に聖霊を尊び、頻繁に聖霊と交わってください。聖霊は、あなたが奇跡的で超自然的な毎日を送るために必要なすべてなのです。

祈り
愛する父よ、私の内に聖霊がおられることを感謝します。私は神に満たされています。ですから、私の内には病気、怒り、嫉妬、どの暗闇も入り込む余地はありません。私は光に満ち、私の世界を照らします。聖霊は永遠に私の内におられ、私は決して一人ではありません! 聖霊は常に私の助け手です。ハレルヤ!

参照聖書
(2コリント6:14-16)不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

参照聖書
(2コリント6:14-16)不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。15 キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

(1コリント3:16)あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

(1コリント6:19)あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。