2024年4月24日(水)
神の慈しみの現れ
A Manifestation Of His Goodness

「盗人が来るのは、ただ盗み、殺し、滅ぼすためである。私が来たのは羊にいのちを得させる[楽しませる]ため、豊かに[十分に、あふれるばかりに]得させるためである。」(ヨハネ10:10AMPC)

主イエスは、私たちが命を得て、豊かに楽しむために来られたと言われました。そのことを嬉しく思いませんか?主イエスはこの世に生きて死なれ、そしてよみがえられ、あなたに対する神の完全な御心に関して、あなたを何一つだまさないようにしてくださったのです。

第三ヨハネ章2節で、主はこう言われました。「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」この節で使徒ヨハネは、霊的、物質的、肉体的な祝福を含む人間の総合的な繁栄について述べています。

神は、 健康なしでは、神が与えてくださった人生を楽しむことができないということを神はご存じです。だからこそ、病人を癒すために私たちを遣わされたのです。神の癒しは神の慈しみの現れです。使徒の働き10章38節は、この真理をさらに補強しています。「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」

神はイエスを遣わし、イエスは善い行いのために巡り歩き、悪魔に虐げられていたすべての人々を癒したのです。聖書は、イエスが私たちにも同じ任務を与えられたことを示しています。マタイ10章8節で主は言われました。「病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」

ルカの福音書9章2節には、弟子たちについてこう書かれています。「それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。」ハレルヤ!ペテロとヨハネが「美しの門」と呼ばれる神殿の門にいたときのことを考えてみましょう。彼らは、生まれつき足の不自由な男が施しを求めているのに出会いました。聖書には、「すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」」と書かれています。(使徒3:6)

それまで歩くことができなかったその男は、たちまちいやされ、ペテロとヨハネとともに神殿に入り、神を賛美した。奇跡的な癒しに驚いた群衆は、それまで足の不自由だった男に神の慈しみの現れを見たのです。神は人々が病気になったり、弱ったり、打ちひしがれることを望んでおられません。だから私たちを国々へ癒しを届けるように遣わしたのです。ハレルヤ!

告白
サタンは私の内には何も足場はないと宣言します。 私は、キリスト・イエスにあって超越的で勝利に満ち、勝利し続ける命の中を歩んでいるからです。私は神聖の性質にあずかり、病気にならない命を歩んでいます。イエスの御名によって告白します。アーメン。

参照聖書
(へブル2:14-15)そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

(マタイ10:7-8)行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

(1ヨハネ3:8)罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。