Walk In His Light
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(1ヨハネ1:7)
光の中を歩むとは、神のことばの光のうちを歩むことです。それは、明らかにされたみことば通り、新しく造られた者のため、神の供給と一貫性のあるものの光の中を歩むことを意味します。もし、光の中を歩んでいないなら、私たちは神と交わりができません。なぜなら、光は闇と一緒にいることができないからです。
たとえば、みことばは、新しく造られた者のことを、義と認められた存在だと言われています。あなたは、あなたの義の光の中を歩むべきです。あなたは、イエス・キリストにあって、神の義となりました。(2コリント5:21)ですから、あなたは、あなたの義の光の中を歩むのです。 義の光の中を歩むことは、神の考え、つまり神の義の光と一貫性を持って歩むことを意味します。
義に対する神の光とは、イエス・キリストを信じる人に分け与えた贈り物です。ですからあなたは、「父よ、私は父の光のうちに住んでいます。父の光と義は、イエス・キリストを信じる人すべてに与えられた贈り物です。したがって、私はイエスの名によってその贈り物を受け取ります。私は義とされました。ハレルヤ!」と告白することができます。これが、神の光のうちを歩むということです。
しかし、肉的な人は、自分の感覚に従って生きています。その人は、こう言います。「私は、神が今日、私と共におられることを感じることができない。私の祈りは、まだ届いていないようだ。父よ、私はもがいています。」ご覧ください。その人が、神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。(へブル4:10)という聖書のことばを考えずに、自分でもがく人と表現することによって、神のことばと矛盾した言葉を語っています。その人は、自分の人生を、感覚で解釈しています。しかし、神のみことばは、あなたの感覚と何の関係ありません。
新しく生まれ変わったあなたは肉の人ではありません。「肉にある者は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:8)。あなたは感覚や感情ではなく、御霊によって生きるべきです。 ローマ8:13はこう語っています。「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」ここでの「死ぬ」とは、肉体の死のことではなく、神から切り離される霊的な死のことを意味します。そのうえで、あなたはもがくような自分を見るようになるでしょう。しかし、もしあなたが、神の光の中、つまり神のみことばの中を歩むなら、王として生き、支配するようになるでしょう。
祈り
愛する父よ。父のみことばを通して私の人生の道を照らしてくださってありがとうございます。父のみことばは、光であり、栄光です。みことばを黙想し、それによって生きるとき、私は、みことばの栄光の姿に変えられます。私のうちに暗闇はありません。私は、みことばとあなたの霊とともに豊かな交わりを楽しみます。イエスの御名で祈ります。アーメン。
参照聖書
詩編36:9 いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。
箴言6:23 命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。
詩編119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。