Faith To Please Him

“信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。”(ヘブル 11:6)
But without faith it is impossible to please him: for he that cometh to God must believe that he is, and that he is a rewarder of them that diligently seek him (Hebrews 11:6).

神に喜ばれるためには信仰によって行わなくてはなりません。今日の本文箇所が明らかに強調することがそれです。“信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。…”ここであなたに一つのお話をお聞かせしましょう。創世記2:16-17は言います。“神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」”このように神は善悪の知識の木から取って食べてはならないと命令されました。アダムは園にある他の木の実はどれであっても食べることができました。

その園には命の木もありました。しかし、彼はその実は食べずに、神がたべてはならないと言われた善悪の知識の木へと行きました。彼はそれを食べて死ぬようになりました。あなたはなぜ神がその木をそこに置かれたのか尋ねるかも知れません。アダムを試みようとそうされたのでしょうか?違います。アダムは神の明らかな指示に反対する道を選択した上で、神に対する彼の不信仰を現し、その選択は、死をもたらしました。信仰とは、神の御言葉に対する人間の霊の反応であり、御言葉に逆らうことは肉に従って歩むことです。肉にあって、肉の思いをする人々は、決して神に喜ばれることはできません。

ローマ人への手紙8:6-8は私達に言います。“肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。 というのは、肉の思いは神に対して逆らうものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。”感覚の領域で生きているならば、あなたは自分も知らずに命の代わりに死を選択したアダムのような者です。しかし、神はあなたが死ではなく命を選択することを願われます。神は“あなたはいのちを選びなさい。”(申命記30:19)と言われました。

 ガラテヤ人への手紙3:11は、義人は信仰によって生きると言います。信仰で生きるとは、御言葉の中で御言葉に従って生きることであり、神の御心を信じて、その御心通りに行うことです。神を信じて神の御心を行う者は、誰でも永遠の命を得るようになります。あなたの中に神の命があるならばその命に相応しく神の義を現し、神の御言葉の中で信仰によって生きる人生を生きてください。それがまさに神に喜ばれる道です。

祈り
愛する父よ、私に父の命をくださり、その命を成功的に生きるように信仰をくださり感謝します。私は肉的な判断に従って行わず、私の良い行いで義と認められようとしません。私は信仰によって生き、それによって聖霊の力に従って、全ての良いことで父を喜ばせます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
ヨハネ14:15、Ⅱコリント5:7