11月7日(月)
神との平和
Peace With God

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」 (ヨハネ14:27)

私は、イエス・キリストの死と埋葬と復活の偉大さと重要性を世界中の人々が理解できるようになることを神に願っています! イエス・キリストが私たちの身代わりになり、犠牲を払われる前、私たちは「イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした」(エペソ2:12)と聖書は語っています。私たちは神の敵であったのです。

しかし、神をほめたたえます! ローマ5章10節には、神はイエス・キリストの死によって私たちを主ご自身と和解させたと書かれています。エペソ2章13-18節にはこう書かれています。「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、自分の肉において、敵意を廃棄された方です。

敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。」ハレルヤ!

イエスは代価を支払い、私たちを父なる神との平和と一体に導いてくださったのです。ローマ5章1節で、パウロが次のように宣言しているのも不思議ではないのです。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」ここで「平和」という言葉は、ギリシャ語で「エイレネ (eirene)」から由来し、これは敵対関係に終止符を打つことを意味します。つまり、一つになったのです。

キリスト・イエスによって、あなたは神と一体になり、あなたは神の中にある場所に着いたのです! もう裁きを恐れて生きる必要はありません。イエスはすでにあなたの罪に対する罰を取り除かれました。イザヤ53章5節は「… 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし…」と言っています。ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、私の信頼に託された和解のメッセージに感謝します。私を通して、私の世界とその向こうにいる多くの人々が、神を知る知識により、キリストにおける彼らの相続地に到達しています。彼らは、罪悪感から解放され、父との平和と連合の人生に入っています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ヨハネ16:33) わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

(エペソ2:14-18) キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。