神が預言で語られるとき
When God Speaks In Prophecy…

「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。」(申命記18:22)

神が預言の言葉を与えられるとき、あなたがそれを信じるかどうかにかかわらず、それは実現するでしょう。このことについて考えてみましょう。イエスはシモン・ペテロに言われました。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います」(マタイ26:34)。ペテロは信じたでしょうか?いいえ!それどころか、彼は「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません…」(マタイ26:35AMPC)と主張したのです。

しかし、イエスの言葉は実現したのでしょうか?そうです!ペテロはイエスを否定し、イエスを自分とは関係がないと否認しました。実際、ある時、ペテロはイエスを知らないと言って、呪いをかけて誓ったのです。ユダの話はどうでしょうか?イエスが弟子たちの中の一人が裏切ると言われたとき、イスカリオテのユダはイエスが自分について言われたことを受け入れず、喜んでもいませんでした。

そして、ルカ22章3節には、悪霊がイスカリオテのユダに入り込んだと記されています。それが起こると、彼はイエスと弟子たちがいる場所から出て行き、祭司長たちのところに行って、イエスを裏切るための手配を完了したのです。聖書を見ると、王に対する預言的な言葉や、国に対する預言的な言葉がいくつかあります。当時の彼らはその預言的な言葉を信じる必要はありませんでしたが、それでもその言葉は実現しました。

しかし、預言の言葉を信じるとき、あなたは祝福されます。その預言の言葉があなたに関係していて、あなたの利益になるときはなおさらです。 例えば、マリアは、イエスの誕生に関する預言の言葉を受け取ったとき、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と言いました(ルカ1:38)。

マリアは、預言どおりに信じて主イエス・キリストを産みました(ルカ1:35―38)。聖書には「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう」(ルカ1:45)と書かれています。あなたが信じるとき、その祝福の言葉があなたの人生で実現します。しかしながらここで違うのは、神があなたの国について、あなたの時代について、あなたの人生の進路について預言的に語られるとき、あなたがそれを信じるかどうかと関係なく、そのことは起こるでしょう。ですから、あなたがすべきことは、御言葉を学ぶことです。御言葉を理解してください。その預言的な御言葉の中にあなたの居場所を見つけ、それを確保することです。そうすることにより、あなたは常に勝利することができるのです。

告白
私はキリストにあって自分の居場所を見つけ、確保し、統治しています。神の栄光が私の中に、そして私を通して現されています。私は、御霊によって日ごとに絶えず強く大きくなり、御言葉によって勝利しています。私を通して、福音の真理が宣べ伝えられ、多くの人が今日、救い、癒し、祝福、奇跡を受けます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(イザヤ55:11)そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

(第一テモテ1:18) 私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

(歴代誌下14:39 NIV)こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」