To Bless Is To Give Thanks

「そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。」(1コリント14:16)

一般的に、「祝福する」という意味は、神の力をある対象や誰かの人生の中に引き起こし、昇進、増加、発展、強めるようにすることです。しかし、祝福には別の側面があります。たとえば、聖書には、主をほめることについて語っています。主をどうやって祝福するのでしょうか。そして私たちが「あなたの仕事を祝福します」と言うとき、あなたは実際にどうしますか。また、今日の本文箇所は、霊においての祝福について語っています。これは異言での祝福です。どうやって行うのでしょうか?

その箇所の最後の部分を読むと、手がかりが得られます。「あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。」パウロは「祝福」を「感謝すること」と同等視しています。マタイ26:26で、次のように述べています。「イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、…」イエスはどのようにパンを祝福されましたか。

使徒パウロは、御霊によって、それについて説明しています。「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」(1コリント11:23-24)。マタイは、イエスがパンを取り、それを祝福したと言いました。そしてパウロはこれに関する啓示を受け取り、私たちにイエスがどのようにしたかを正確に教えてくれます。イエスは感謝をささげました。

これにより、あなたが食事する時、どうやって食べ物に祝福ができるのかを教えてくれます。「ああ、主よ、この食べ物を祝福してください」と言っているのではありません。主に食べ物について感謝することです。それが、イエスがパンを祝福された方法でした。同様に、私たちが「主をほめたたえましょう」と言うとき、それは主に感謝をささげることを意味します。主はどなたであるか、主があなたの人生で成し遂げられたことが何か、そして主のすべての偉大な御業に感謝ささげることです。これはあなたがいつもすべきことです。

ある対象について主に感謝または祝福することを学ぶと、あなたは主に感謝しているすべてのものを受け取るでしょう。感謝することは完全さを呼び起こすためです。永久にイエスの御名に栄光がありますように。

祈り
祝福された主よ、主は恵み深い親切です!私の人生における主の臨在に賛美と感謝をささげます。そして私に臨んでいる主の祝福の御手に感謝いたします。私は今日、そしていつも、勝ち誇って生きる主の恵み、憐れみ、知恵と力を認めます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(1テサロニケ5:18 ) すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

(コロサイ3:17) あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

(詩篇107:1) 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」