1月22日(日)
祈りの中で魂のために苦闘する
Agonizing For Souls In Prayer
「あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。」 (コロサイ4:12)
使徒パウロは、人の魂のために祈りながら苦闘する方法を知っていました。彼は勝利の祈りの原則を理解していました。例えば、第一コリント15章32節で、彼は「…私はエペソで獣と戦いました…」と言っています。ここで彼は、霊の中で起こったことについて話しています。それは霊的な戦いだったのです。
黙示録19章11節で、使徒ヨハネは「…義をもってさばきをし、戦いをされる」と語っています。私たちは、義によって裁き、戦いをするのです。この「戦い」という御言葉の表現は、ギリシャ語の「ポレメオ(polemeo)」で、「戦争に参加する」「戦闘する」「争う」という意味です。「戦い」の代わりに、「戦闘する」と訳されることもあります。
「戦い」は 「ストラトマイ(stratomai)」からも訳されていますが、これは戦場での兵士として戦いに関わることを意味します。また「アゴニソマイ(Agonisomai)」という別の言葉もあります。これも戦いを意味する言葉で、何かのために争うことを意味します(コロサイ1:29と4:12)。この戦いはもっと激しく情熱的で、必ずしも武器を使うわけではありません。
英語の「苦闘する(agonize)」は、キリシャ語から派生した言葉です。これが失われた魂のために祈るとき、私たちがすべきことです。私たちは「苦闘する」ことが要求されます。なぜなら、私たちには戦っている敵対する者がいるからです。エペソ6章12節に「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」とあります。
「戦う(wrestle)」という単語は、戦争、戦闘、争い、闘争などの総称であり、これらはすべて私たちの敵に関わっていることを私たちに教えています。 第二コリント4章3―4節には、この敵について、またその邪悪さの度合いについて書かれています。「それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです」。
ですから、罪人がサタンの力から解放され、神の子としての栄光ある自由を得られるように、あなたは熱心に祈らなければなりません。祈りの中で彼らのために苦闘してください。これは良い戦いをするために優先されることなのです(第一テモテ2:1-2)。
祈り
愛する父よ、主の御霊を全人類に注ぎ、すべての人がキリストの輝かしい福音を受けられるようにしてくださったことに感謝します。私は、今日主が救いのために運命づけられた人々の心から悪魔の影響力を打ち砕きます。彼らは暗やみから光へと導かれ、神の子たちの栄光の自由へと導かれるのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(第一テモテ2:1-4)そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
(エペソ6:12-13)私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。