2024年9月25日(水)
礼拝―御霊にあって歩む召し
Worship—A Call To Walk In The Spirit
「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。」(ピリピ3:3)
前回の学びで言及したように、真の礼拝とは、人の霊と神の霊との交わり、または親密を分かち合う霊の礼拝なのです。真の礼拝とは、あなたが感情や賛美のメロディアスとは何の関係ありません。そこを見逃している人がいるのです。一部のクリスチャンは、霊をもって神に心から応答せず、礼拝や賛美の一部分だけをささげて通り過ぎる場合があるのです。彼らは一緒に歌い、順序によって礼拝をささげるかもしれませんが、彼らの思考は散漫で、彼らの霊は神に集中していないのです。
このような断絶が起こるのは、彼らが霊をもって神に応答するために霊を訓練する方法を学んでいないからです。例えば、神への賛美は、単に歌を歌ったり、告白したりする以上の意味があるのです。あなたの心と霊をもって礼拝をささげることなのです。同様に、肉体で踊ることも決して助けにはなりません。真の礼拝とは、外見的な身振りを超えたものであり、私たちの心の内面的な態度や姿勢を伴うものなのです。
一人であれ、教会で他の人たちと一緒にいるときであれ、主を礼拝するときはいつでも、まず、雑念からすばやく離れることです。ドラムや他の楽器のリズムに影響されることなく、積極的かつ即座にあなたの霊と関わり、主に集中し、霊とまことをもって主を礼拝するのです。
主イエスは言われました。「しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:23-24)ですから、あなたの心の底から神に真の賛美、礼拝と感謝をささげるように、意識的に心を向けてください。
私たちは御霊のうちに歩むように召されていることを忘れてはなりません。ガラテヤ5章16節には、こう書かれています。「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」霊をもって主を礼拝することは、あなたの自然で習慣的な生き方であるべきです。主を礼拝するときはいつも、「御霊によって歩みなさい」という呼びかけを思い出してください。それはむしろ、あなたにとって礼拝とは、神のいつくしみ、祝福、優しさ、義を認め、感謝するものとなることでしょう。礼拝は、神のご性質、愛、恵みに対する感謝の告白なのです。
祈り
愛する父よ、霊とまことをもって主を礼拝する特権を感謝します。私の礼拝は、主に対する私の愛と感謝と敬虔の深い表現です。私の心は、主の偉大さ、愛、誠実さ、永遠に続く恵みに対する心からの礼拝と賛美で満たされています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ 4:22-24 )救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
( エペソ 5:18-19)また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
(コロサイ 3:16-17)キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。