2022年5月2日(月)
真の賛美と礼拝
True Praise And Worship
「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。」(ピリピ3:3)
イエス・キリストの教会はもう成長になりました。過去には霊的に適切ではなかったので、主が容認されていたことが今はまとまっています。 これは、主が再臨のために教会を完全にしているからです。例えば、神の家で捧げる真の礼拝と賛美を考えてみましょう。多くの人は、真の礼拝と賛美が何であるかを理解していません。ある人たちは、教会で高らかに踊ることが、本当に神を賛美し、礼拝していることだと考えています。しかし、肉における踊りは、賛美でも礼拝でもありません。
では賛美とは何でしょうか。そして、礼拝とは何でしょうか。礼拝とは、神の現実性、祝福、性質、偉大さを認め、感謝することです。この認識と感謝を、私たちは祈りと犠牲と奉仕で表現されます。新約聖書で、私たちは賛美という霊的ないけにえを捧げます(ヘブル13:15、第一ペテロ2:5、詩篇69:30-31)。ですから、賛美は礼拝の表現なのです。私たちが神を賛美するとき、私たちは神を礼拝しているのです。あなたが、「主よ、主は良い方で、親切で、恵み深く、憐れみ深い方で、私を祝福してくださいました。主は義なるお方です」など告白するとき、あなたは主のご性質と主の御業を明らかにし、認識し、感謝しているのです。
賛美は、神に感謝を捧げる私たちの唇の実です(ヘブル13:15)。つまり、礼拝や賛美で、あなたは神に感謝を語っているのです。このように、神の性質に対するこの感謝の言葉を豊かに表現するのは、心からするべきであり、肉ではなく、霊からのものであるべきなのです。
多くの教会の中で行われている踊りは、肉によるもので、それらの踊りは教会の外で踊っても良いでしょう。しかし、新約聖書によると、あなたは神を礼拝するために肉の中で踊りません。肉による踊りは、音楽のビート(拍子とサウンド)に合わせて踊るものです。ビートが変わると、踊りも変わります。
もし、あなたが踊る気になったなら、それは霊の中で、御霊によるものであるべきです。その踊りは、ドラムのビートとあっていないかもしれません。霊の中で踊るとき、あなたは霊の中から、ジャンプしたり、回転したり、喜んでいるあなた自身を気付くでしょう。私たちは、御霊によって神を礼拝し、キリスト・イエスにあって喜び、肉に頼らない真の割礼者なのです(ピリピ3:3)。
祈り
天の父なる神よ、今日、主の愛と優しさと恵みが私の人生に現れていることを感謝し、主を礼拝します。主は偉大さを賛美し、主の聖なる御名をあがめます。主のような方はどこにもおられないのです。主の御国は永遠であり、主の統治はとこしえまで続くのです! 主は唯一の方で、真実であり、全能の神です。すべての栄光、誉れ、威厳、統治、賞賛を永久に主にお捧げます。アーメン。
参照聖書
(詩編47:6-7)神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。われらの王にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。まことに神は全地の王。巧みな歌でほめ歌を歌え
(詩編69:30-31)私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。
(へブル13:15 AMPC)ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。