REAL WORSHIP

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ4:23)

新しく生まれ変わったとき、あなたの霊は再創造され、キリストに浸されているのです。あなたは文字通り、キリストと一つに結合されています。それがまさに私たちがイエスに礼拝できる理由です。真の礼拝とは、互いの霊が混ざり合って、主の臨在の中で栄光に満ちた神との恍惚(こうこつ)の瞬間です。

どれも真の礼拝の中で神聖とのつながりを妨げるものはありません。礼拝のとき、あなたは主の中で夢心地になり、あなたを取り巻く世界のものから完全に忘れてしまうのです。真の礼拝とは御父との交わりです。それは賛美や祈りの言葉の範囲を超えています。真の礼拝とは、あなたの霊が主と語りあうとき、霊的領域で行われる交わりです。

今日の本文に引き続き、イエスの言葉を思い出してください。「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊と真によって礼拝しなければなりません。」 霊によって主に礼拝するとは、それがあなたの霊から出るということです。私たちは霊によって神に仕えます。私たちは霊によって神のことを理解します。それが、私たちが常に聖霊に満たされるべき理由なのです。ただ聖霊のみが、神にひたすら考えるように、私たちの心を導き、聖め、私たち内なる深い所から神に対する愛を表現できるよう助けることができます。

真の礼拝をささげる時、あなたは聖霊の輝く旅を体験します。時折、礼拝するとき、あなたは地球の領域から神の霊の驚異的な不思議へと捉えられるような夢心地になります。このような祝福は、新しく生まれたみなのためのものです。私たちの霊と主の霊が混ざり合って、私たちは父を礼拝し、その臨在の中で栄光の交わりを経験できる唯一の存在です。

祈り
愛する御父よ、私の人生は、御父の臨在と御霊との一体になる恵みを通して、栄光の交わりと共に栄光から栄光への変容を楽しみ経験します。私は、力、勇気、そして神聖の活気でいっぱいです。イエスの御名でお祈りします。アーメン。

参照聖書
(1コリント6:17)しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。

(ピリピ3:3)神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。

(1コリント12:13)なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。