2025年3月26日(水)
真のキリスト教の土台
The Foundation Of True Christianity
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(2テモテ3:16NIV)
ある特定の人々が、聖書に基づかない特定のキリスト教を選び、それがキリスト教を象徴していると決めたからといって、彼らが実践していることがキリスト教であるということにはまったくなりません。真のキリスト教は聖書、すなわち神の言葉に基づいているものです。
聖書は、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(2テモテ3:16)と教えています。したがって、すべてのクリスチャンは、聖書が絶対的に真実であり、人生のすべてに関する最終決定者であることを信じ、受け入れ、告白し、支持し、宣言するのです。そうでなければ、そのような人はクリスチャンではありません。
また、クリスチャンはイエス・キリストが神の御子であることを認め、それはイエス・キリストが肉体を持った神であることを意味するのです。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)さらに、クリスチャンはイエスが救い主として死なれたことを認めます。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)
クリスチャンは、イエスが死者の中からよみがえられ、今も生きておられることを告白します。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)黙示録1章18節は述べています。「わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」
したがって、あなたがどれほど長い間クリスチャンであることを公言してきたか、あるいはあなたがどのような役職を持っているかは重要ではありません。あなたがこれらの真理を受け入れ、信じ、告白しなければ、聖書によれば、あなたはクリスチャンではないのです。これがクリスチャンとは誰かという定義の始まりです。なぜこれが重要なのでしょうか?
聖書が語るキリストにおける超越的な命は、信じる者にしか与えられないからです。信じるということは、2つの本質的な要素を含んでいます。一つ目は真理を受け入れて告白すること、二つ目は真理に従って行動することです。これらがなければ、信じることは不完全なのです。神を褒めたたえます。
祈り
愛する父よ、私の人生を定め、導いてくださる御言葉の光に感謝します。私は聖書の絶対的真理を信じ、受け入れ、告白し、宣言します。イエス・キリストが人となって来られ、私の救い主として死なれ、死者の中からよみがえられ、そして今、御霊によって私の心の中に生きておられることを、私は大胆に断言します。私はこれらの真理によって生き、主の御言葉の完全な祝福のうちに歩んでいきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1ヨハネ4:1-3)愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
(2テモテ3:16)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。