2023年11月18日(土)
異言による賛美と執り成し
Tongues Of Praise And Intercession
「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。」(1コリント14:2)
使徒の働き10章で、ペテロがコルネリオの家で宣教したときのことを思い出してください。聖書には次のように書いてあります。「ペテロがなおもこられのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。割礼を受けている信者[ユダヤ人]で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが[未知の]異言(言語)を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。」(使徒10:44-46 AMPC)
後半部分に注目して下さい。人々は異言で語りながら、神をたたえ、崇めていたのです。このように霊から主を賛美すると、主の栄光があなたのために現れるのです。使徒の働き16章25節によると、パウロとシラスが神に祈り、賛美を歌うと、獄中で奇跡が起きたと言っています。
さらに、あなたが異言で祈っている間、賛美や預言的啓示のほかに、その異言のいくつかは執り成しとしてあなたの霊を通して出てくることもあります。そのような時は、あなたの霊において、誰かのために、あるいはあなたの国や町や教会のために執り成しているのです。
多くの場合、執り成しは異言から深いため息やうめきへと変わります。そして、その祈りの内容について、聖霊が解き明かしを与えてくれない限りは、異言による祈りの内容について理解はできません。異言で祈るとき、あなたには、このようなことがより頻繁に起こることでしょう。神に栄光をささげます!
祈り
愛する父よ、私はあなたの威光をたたえます。主だけがすべての賛美を受けるにふさわしい方です。あなたの恵みは限りなく、主の慈しみは終わりを知りません。主の愛は計り知れず、その慈しみは、私の理解を超えています。主よ、あなたの平和、進歩、繁栄が世界の国々に君臨することを感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1コリント14:2-4)2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。3 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。4 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
(1コリント14:14-15)14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。15 ではどうすればよいでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。