2022年9月23日(金)
無知であることの危険性
The Danger Of Ignorance

「しかし、イエスは彼らに答えて言われた。『そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。』」 (マタイ22:29)

神の御言葉を知ることはとても大切です。イエスはユダヤ人たちにこう言われました。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです」(マタイ22:29)。イエスが当時のユダヤ人たちに言われたことは、現代においてもまだ有効です。牧師や指導者、あるいは御言葉の教師でありながら聖書を知らないというのは、さらに悪い事態を招きます。

今日の御言葉でイエスが強調されたのは、イスラエルのすべての民に神の知識を与えてくれると信頼していた指導者たちに向けた言葉であることを考えましょう。その指導者たちに多くの信頼を寄せていたにもかかわらず、彼らは無知であることが判明したのです。

そのユダヤ人の指導者たちが、無知によって、イエス・キリストを罪に定められた人たちでした。彼らは主をあらゆる軽蔑的な名前で呼び、人々が主を信じるのをやめさせました。そして、イエスに死刑を宣告し、彼らの目の前で、イエスを恥をかけ、侮辱され、暴行され、十字架につけられました。彼らはイエスを欺く者と呼びましたが、欺き、欺かれているのは彼ら自身でした。

パウロが聖書の中で「この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう」(第一コリント2:8 MSG)と言っています。パウロも、ユダヤ人指導者たちが扇動する悪意ある攻撃にさらされたのです。

ある時、パウロと同志たちはテサロニケで説教をしていました。パウロがその会堂で福音を伝えると、一部の異邦人や多くの貴婦人たちが彼のメッセージを信じました。ところが、ねたみにかられたユダヤ人の指導者たちは、町のならず者をかり集め、暴動を起こして街を騒がせました(使徒17章)。ユダヤ人の指導者たちは、異邦人に対する神の救いの計画を知らなかったのです。

聖書に対する知識がないと、人々は多くの恐ろしいことをするようになります。パウロでさえも、無知の危険性を指摘し、その無知がキリストを知る前にどのように教会を迫害したのかを述べています。「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです」(第一テモテ1:12-13)。

聖書に書かれているように、御言葉を自分で学ぶのです。「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい」。

祈り
父なる神よ、主は御言葉によって、私を主の計画された運命の中に導いてくださいます。私はいつも自信をもって楽しく生きています。私が主の完全な御心を実現するために、主が私とともに、また私のうちに働いておられることを知っているからです。聖書を学ぶとき、私の理解の目ははっきり見えるようになって、主をもっと知るようになります。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(箴言18:15)悟りのある者の心は知識を得、知恵のある者の耳は知識を求める。

(ルカ24:45)そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、

(ヨハネ5:39)あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。