The Anointing Is In You
「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(Ⅰヨハネ2:27)
注ぎの油を与える方である聖霊は、あなたのうちに豊かに住んでおられます。私たちに必要なことは、私たちのうちに、もっと偉大な方が住んでいることを理解し認識することなのです。あなたのうちに注ぎの油を「感じても」、何も「感じなくても」関係なく、主はあなたのうちに、あなたとともにおられます。
神を感覚の領域に連れてこないでください。神は感覚の領域では関係していないのです。あなたのキリスト教の信仰の土台を感覚にしないでください。悲しいことに、それがある人たちにとって、神を知る唯一の方法になっています。そのような人は、神の臨在を知るために、油注ぎを「感じること」に頼りにします。 油注ぎを、「感じ」がない場合、何かが間違っていると思い、祈りながら「主よ、油注ぎを私にくださり。わたしは主の臨在を感じたいと思います!」と泣き叫びます。さらには、ある人たちは、油注ぎがあるように断食を開始したりします。これは大きな誤解です!
「感覚」を頼りにするとき、何かがおかしいと思ったとき、彼らは、祈り泣き始めてこのように言います。「主よ、油注ぎをください。私はあなたの存在を感じたいです!」ある人たちは、油注ぎがくるように断食もします。なんて誤解でしょう!
油注ぎというのは、聖霊の働きの結果です。また、聖霊の力による影響かつ転移ともいえます。たとえば、パウロから取って病人の上にのせた手ぬぐいや前掛けのような生地に油注ぎが移されたことです。それでは質問です。「人格である聖霊と神の影響力と、転移されたもので、どちらがより大きいでしょうか」もちろん、人格である聖霊であられます!これは、まるで人とそれらの影のようです。
もし聖霊があなたのうちに宿っているなら、油注ぎのために祈ることは、真実を無視し、影を追い求めることです。それは働きません。もっと油注ぎを受けるための努めるのを止めてください。天からより多くの油を注がれるように願わないでください。あなたのうちをのぞいてみてください。あなたのうちに住んでおられるキリストを知って生きてください。主は油注がれた方であり、油注ぎの所有者であられます。そのような方が、あなたのうちに住んでおられる意味は、あなたが必要とするすべての能力をあなたのうちに持つことができるためです。あなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせる方法を学んでください。(Ⅱテモテ1:6)
祈り
尊い天の父よ。私に聖霊をくださり、奇跡の能力をもって歩めるようにしてくださり感謝します。父は、私の中に働く力によって、私が求めたり、考えているすべてのものより多く満たしてくださる方です。今日、私はその油注ぎを認識し働きさせます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
Ⅰコリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
Ⅰヨハネ2:20 あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。