Recognize And Respond To The Anointing!

“家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは、「そうです。主よ。」と言った。”(マタイ 9:28)

神の子どもとしてあなたが理解しなくてはならない非常に重要なことは、あなたの人生で聖霊の働きが起こるように促す必要があるということです。どのように行うのですか?おもに、聖霊に反応することでそのようにします!

サムエルが宮で仕えていた幼い少年の時、祭司エリは彼に教えなくてはならなかったことがこれでした。神が3度目にサムエルを呼ばれましたが、その度にサムエルは自分が聞いたのが神の御声であることを分からず、エリのところに走って行きました。エリは主がサムエルを呼ばれることを悟って彼にこのように言いました。“…「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話ください。しもべは聞いております』と申し上げなさい。」…”(Ⅰサムエル3:9)

神はイスラエルの子孫をエジプトから連れて出て来る時、御使いを送られませんでした。神は一人の預言者を送られましたが、その理由は、神の油注ぎが人にあるからです。神は油注ぎを人に与えられて、その人をあなたに送られます。彼の油注ぎは、あなたのためのものです。神が願われることは、あなたがその油注ぎを認識し、反応するということです。

例えば、あなたが一つの群れの人々を牧羊しているのに、彼らを助けるため神の油注ぎが、あなたの人生にあるという事実を彼らが悟れないならば、あなたは彼らを助けることはできません。彼らが悟らなくてはなりません。それだけが彼らを助けるため油注ぎがあなたを通して働くことができる唯一の方法です。数年前オーラル・ロバーツ牧師は、人々に癒しの働きをする時、いろいろ彼らに尋ねたりしました。“あなたは、私が神の癒しの力で油注ぎを受けたということを信じますか?”彼らがそうだと言うと、牧師は彼らに癒しの働きをしました。なぜなら、彼の人生にある神の油注ぎに対して、彼らがまず反応して認めなくてはならなかったからです。

今日の本文箇所に記録されているイエスの働きにも、同じことを発見しなくてはなりません。二人の盲人は、イエスにある油注ぎを認識しこれに反応しなくてはなりませんでした。イエスが彼らに“…わたしにそんなことができると信じるのか”と尋ねられた理由がその故です。彼らがもし油注ぎを受けた者としてのイエスを分からずに反応しなかったならば、彼らの目は癒しを受けることはできなかったでしょう。油注ぎを悟って信じてください。そうすると油注ぎはいつでもあなたのために働くでしょう。

祈り
愛する天の父よ、油注ぎを認識し、反応する方法を私に教えてくださり感謝します。私は私の世界を祝福し、父に栄光と賛美を捧げるため、私の人生で父の油注ぎを用います。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
ピレモン 1:6, 私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行いをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。

Ⅰサムエル 24:6 彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」